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Table of Contents
NHK『特集番組 安室奈美恵 告白』(2017.10.26収録/11.23放送)
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辛いこととか大変なこともあったけど、なんか幸せな25年。
歌手として素晴らしい出会いもして、
素晴らしい経験もさせてもらった25年間だったんじゃないかって思います。
安室奈美恵さん、40歳。平成を代表する歌手が、引退を決めました。すべてを語ってくれました。そして今夜は、NHKに残る秘蔵映像をたっぷりご紹介します。
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突然の引退宣言から一月余りが経ったこの日、安室奈美恵さんが私たちのインタビューに応えてくれました。
25年の歌手人生を振り返るために用意されたのは、紅白歌合戦など、NHKが記録してきた映像の数々です。
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『はい。よろしくお願いいたします』
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--実は、いろんなご縁がNHKとはあったので、そんなVを集めてみたので、まずはそれをちょっとご覧いただきたいと思います。
『はい』
第1章 平成のヒロイン
音楽番組「ポップジャム」のオーディションを受ける15歳の安室さん。沖縄から上京して間もない頃の貴重な映像です。
★1993年3月 PJG ポップジャムガールズオーディション『ミスターU.S.A』-スーパーモンキーズの映像
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『フフフフフ(笑)』
『ちょっと衝撃…衝撃過ぎてちょっとビックリしました(笑)』
スーパーモンキーズとしてデビューした安室さんは、ポップジャムで司会のアシスタントになりました。
★1993年4月5日 ポップジャム’93 第1回の映像
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『フフフフ、ヤダァ〜ホントにぃ〜(笑)』
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『かなりフレッシュさは伝わってきた感じ(笑)』
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『もうでも、ときめきばっかりでした。「いつか私たちもこういうふうにワァーとかキャーとか言われてみたいねえ」とか。そういうことしかこう…いっぱい考えてた』
しかし、テレビに出るようになってもなかなかヒットは出ない…小さな背中に背負っていたのは責任感。
★3枚目のシングル 愛してマスカットの映像
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『デビューしたらすぐ曲はヒットすると思っていたので(笑)で、ヒットしない…「まだ最初だからかな~」みたいな。2作目、3作目とヒットが出てくれないので、なんかこう、焦りと「なんでだろう?」って、ずっと「なんでだろう?なんでだろう?」て思ったときに、私がセンターでメインボーカルを歌わせていただいていたので、「多分、私がセンターでメインボーカルしてるからヒット曲が出ないんだろうな」というのは、14歳、15歳なりにまぁ、出した結論というか、一生懸命考えた結論で。なのでその時は「やめさせてください」って、その当時、事務所に所属していたので、社長さんにはお話をしたことは凄く覚えてる』
しかし、この曲で遂にブレイク。TRY ME~私を信じて
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『「あれっ?」って。「私たちの曲、なんかランキングがどんどん上がってるぅ!」っていうのを、もう毎週毎週、ランキング番組をみんなでテレビの前で観てた。「また今週も上がってたね~」「ウソでしょ~!」みたいな』
さらに、Body Feels EXITでこの人と出会います。小室哲哉さん。稀代のヒットメーカーが作詞・作曲・プロデュースを一手に引き受け、安室奈美恵17歳の快進撃が始まりました。
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『小室さんとのお仕事はとにかくプレッシャーの連続だったので。なんかこう、うん。プレッシャーだった、最初は特に。もう既に小室さんプロデュースのアーティストの方でたくさんヒット曲を出していたので、次のシングルの時に書いてくださるというお話のとき「わぁ!嬉しい!」とその時は本当に思ったんですけど、ただ「あれっ?」って。「小室さんが書いた曲を私が歌って、それが他の小室さんプロデュースのアーティストの皆さんみたいに売れなかったらどうするんだろう?」と思って「えっ!ヤバイ!どうしよう!責任すごい重大なんだけど…」って、ちょっとプレッシャーはハンパなかったですね』
『さっきの小室さんの野外イベントの時も、あの時に「Body Feels EXIT」が初めてお披露目だったと思うんですけど、私だけまだリリースしてなくてイベントに出させてもらっていたので、かなりアウェイ感はあったんですけど、もうとにかく長い花道を一生懸命走って、歌詞も覚えたてだし、間違えないようにしなきゃいけないし、すごいとにかく緊張とプレッシャーばっかりでした』
この年の大晦日、NHK紅白歌合戦に初出場。歌ったのは、小室さんが手掛けた2作目のシングル、大ヒットした『Chase the Chance』
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そして、90年代後半。安室奈美恵&小室哲哉のタッグはチャート1位を連発していきます。
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『デビュー当時は”踊る”ことが好きでした、歌よりも。それはやっぱりセンターというプレッシャーから逃げたかったのか(笑)私は「ダンサーになりたい」と思ってた時期もあったし、でも仕事もしてく中で「”歌いながら踊る”って、やっぱりすごく楽しいことなんだな」っていう風に思い始めてからは、やっぱり”歌いながら踊る”っていうことがセットになった時に、初めてすごく楽しいっていう気持ちになって、”歌う”ことも好きだし、”踊る”ことも好きだし、でも”歌って踊る”ことはもう一番もっと好きっていう感じ』
そして、小室哲哉が19歳の安室さんの気持ちを歌詞にした『SWEET 19 BLUES』。女性たちの大きな共感を呼び、頂点へ駆け上がります。
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その人気は社会現象になります。彼女のファッション、メイク、ブーツまで真似をする”アムラー”と呼ばれるファンが街に溢れました。安室奈美恵はまさしく平成のヒロインだったのです。
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『なんで…なんでアム”ラー”なのか、ちょっとイマイチよくわかんなかったですけど。なんか、自分のことじゃない感じ。名前だけがこう、一人歩きして。うーん、不思議な感じでした』
聞き手 秀島史香--”社会現象”、いわゆる”時の人・安室奈美恵”。この頃ってどんなことを考えていましたか?どういうことを思っていましたか?
『う〜ん、でも初めてヒット曲も出たりとか、初めてコンサート、自分たちの単独コンサートができたりとか、とにかく幸せいっぱいでした』
--まさに順風満帆。
『うん、その時はそうですね』
--無敵状態でしたねぇ。
『まぁ…そうですね、多分。なんか表面だけ見ると、多分そうだと思います』
しかし、人気絶頂の20歳の秋、日本中を驚かせます。結婚、妊娠、そして休養を発表。それまでの芸能界では前例の無い決断でした。
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『なんか…何か大きいものを決断したことっていう感覚ではなくて、本当に好きな人がいて、で、子供を授かったっていう嬉しさしか無かったので、なんか”決断”っていう感じは無かったですね』
★1997年12月31日 第48回紅白歌合戦の映像〜1998年12月31日 第49回紅白歌合戦の映像
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翌年の大晦日、母親になった安室さんは同じ紅白の舞台で復帰することになりました。胸に抱えていたのは、不安。
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『1年間ほんとに全く歌は歌っていなかったので、緊張感もあったし温かく迎えてもらえなかったらどうしようっていう、やっぱりプレッシャーがすごいあった』
紅白歌合戦での紹介:自分に素直に自由に生きる。歌手、妻、そして母として生きていく姿は、私たち女性に大きな勇気を与えてくれました。この1年間、あなたの登場を多くの人たちが心待ちにしていました。おかえりなさい。安室奈美恵さん『CAN YOU CELEBRATE?』
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涙で歌えなくなるシーン…
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『(大粒の涙を瞳に溜めて)もらい泣きしちゃ〜う(涙)』
『すみま…ティッシュいただけますか?ハハハハハ…自分で自分を見て泣くってちょっとおかしくないですか?(泣笑)』
--想い溢れてという姿が…
『いや、なんか歌って、で、後半前に行くときに、なんか…なんか「おかえり〜」っていうような拍手をいただいた時に「ありがとうございます」ってなった時に、またワァーって拍手いただいた時に、すごい温かく迎えてくださって、すごい嬉しかったのを覚えてます。うん。フフフフフ(泣笑)そんな、温かく迎えてくださるとは思っていなかったので』
--どういうリアクションを想像していたんですか?
『う〜ん、なんか普通に…なんか「あ、帰ってきたんだな、この子」みたいな』
--そんなことないですよ〜!
『…感じなんだろうなと思いながら、あまりそんな…本当に温かく迎えてくれたらいいな〜とは思っていたんですけど、会場の空気感がなんか柔らかくて「あっ、戻ってきてもいいんだ」って思った瞬間に「ワー(号泣)」って(笑)』
★再び1998年12月31日 第49回紅白歌合戦の映像
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第2章 新しい自分
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2000年。沖縄サミットのイメージソング『NEVER END』を発表。各国の首脳を前に歌いました。しかし、この翌年小室哲哉による作詞・作曲・全てのプロデュースが終了します。23歳。安室さんはたった一人残されました。
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『不安にはすごいなりましたね。最初はちょっと「どうするんだろう?」って思っていたら、当時私を担当してるレコード会社の方が「自分で自分のことをプロデュースしなよ」ってそこで言われて「えっ!?」と思って。「自分で自分のことをプロデュースするってどういうこと?」って』
『まぁ、そっからですよね。「衣装どうする?」とか、なんか「ヘアメイクどうする?」とか「どんなジャケ写撮りたいの?」とか。今までは小室さんが「この楽曲はこうだから、こういうジャケ写にしてこういうプロモーションビデオ(PV)撮ってほしい。コンサートの時もこの曲はこういう演出にして欲しい」っていう指示があってやっていたので「えっ?それを全部自分でやらなきゃいけないの?」って、正解もなければ間違いもないみたいな感じだったので、だから「ファンの皆さんが反応してくれる、そういうレスポンスがすごい大事なのかな」って思って。コンサートで歌って反応見てあんまりこう「ピン」と来ない曲はなんかやっぱりこう、コンサートで歌ってもあまり反応ないし(笑)「そうか、こういう楽曲は望んでないのか、みんなは」とか。手探りでした、本当に』
「安室奈美恵が伝えるべきメッセージとはなんだろう?」そう考えて初めて自分で歌詞も書きました。
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『その時は息子もいましたので「この子のために何ができる?」とか、その当時、素直に思ってたことを言葉にして書きました』
その歌が小室哲哉の元を離れ、初めて発表したシングル『Say the word』
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しかし、21世紀になり、90年代の爆発的な人気は収束していきました。CDのセールス、チャート、コンサートの動員…シビアな現実を突きつけられます。また、ヒットを生み出さなければならない。でも、光は見えない。もがき続けます。
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『自分でプロデュースを始めて、本当に手探りで「これでいいのかな?こういう風にしたらどうかな?」っていうのが割と何年も繰り返されていく中で、やっぱりちょっと”歌手の安室奈美恵”っていうのがわからなくなった時期がやっぱりあったので。その時、どういうふうに脱出していいのかも、やっぱり誰も教えてくださらないし、誰にも相談もあまりできなかったので、いやもう落ち込むばかりでしたね。「あー↘︎」って。「そうか…何がダメだったんだろう?」っていうことも、考えつくことはやってみたりとかっていうのはあったんですけど、でもやっぱりなんか”しっくりハマるもの”がわからなかったので、思い切ってその時は「ちょっと”安室奈美恵”を1回置いて、”安室奈美恵”じゃないところで楽曲を出してみたいんですけど」っていう風に提案させてもらって』
25歳。”安室奈美恵”の名前を出さず”SUITE CHIC”というプロジェクト名で活動を始めます。自分を再生するために、一度自分を捨てる。大胆な試みでしたが、たくさんのコラボレーションで刺激を受けます。
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『ものすごく楽しくて、すごい達成感があったんですね。その時に「なんで今までこれを忘れてたんだろう?」って。あまりにも「こうしなきゃいけない」「ああしなきゃいけない」「こうじゃなきゃいけないんじゃないか」って考えすぎてしまって、とにかく楽しむっていうことを、もうだんだんだんだん忘れてっていた時だったので「そうか」って。もっとやっぱり「自分が好きなことは好きだって胸張って楽しまないと、そりゃいいものは作れないな」って思ったので、安室奈美恵っていう名義になった時に「とにかく今の自分を楽しんで、いいと思うことを胸張って堂々とやれば良いんだ」っていう時に、なんかいろんな迷いとか、いろんなプレッシャーとかっていうのが全部ファーッってどっかに消えてっちゃって、そこからはもう本当に「この曲とこの曲とこの曲をこういう風に表現していって、こういう衣装で、こういうダンスでお願いします」みたいなのがスパスパスパーって決まっていったというか』
--新たなドアが開いちゃったっていう…
『開けられました。その時は本当に』
--でもそれは、自分で真っ暗な中探しに行って「これじゃないか?」って開けに行ったドアなわけですよね?
『いや…開けに行ったドアは、ことごとくハズレだったんですよ。で、その時に「そうか、楽しむことを忘れてた」ってなった時に、ファーって明るくなって「ドアはここです」っていうのがポーンって目の前に現れた感じ。で、それをスーッと鍵なしで開けれた感じ。で、次のステージに行けたっていう感じですねぇ。どこ開けても”当たり”は無かった。その時は』
『なんかあまり器用じゃないので”目の前にある単純なことを分厚い高い壁にしてしまう”っていう。なんか「難儀な性格だな~」って思いながら(笑)』
そして、2007年。『Baby Don’t Cry』が大ヒット。29歳。新しい安室奈美恵が再び女性たちの心をつかんだのです。
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この頃から、安室さんの活動の軸はコンサート1本に。テレビにはだんだん出なくなっていきました。どうして何でしょうか?
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『テレビで「何か面白いことを言わなきゃいけないんじゃないか?」とか「面白いことをしなきゃいけないんじゃないか?」とかっていう、それがちょっとだんだん苦しくなってきて、やっぱりテレビの仕事っていうよりも、コンサートっていう場所で生の私を見てもらって「こんな私でよければ好きになっていただけませんか?」見たいな感じがあったので、コンサートっていう私の表現場所にちょっとずつシフトチェンジしていったっていう感じですね』
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『ひとりでしゃべるってすごく難しいなぁと。じゃあ今日は大阪でコンサートだから何か大阪のことを、何食べたとか、大阪に来るといつもこういうところに行くとかっていうのを常に自分で調べて言ってていうのを、例えば毎年毎年やるのがすごく大変じゃないですか。去年はこう言ったから今年は何を言えばいいんだろう?とか、なんかもう「だんだんなくなってっちゃう」って。自分の日常を話すにしても、例えば20公演あって、自分のネタが20個もない、って思って(笑)』
--安室さん、真面目(笑)
『で「一回ちょっとMCを全部抜いたコンサートを作らせてください」って言った時に、すごく2時間のコンサートがきれいにショーとして収まってくれたので「あ、なんだ。無理して喋らなくてもいいんじゃないのかな?」って(笑)思いはじめたらコンサート作るのもすごい楽しくなって「MCはもういらないね」って感じになっていった』
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そして、去年のリオデジャネイロオリンピック。アスリートたちの背中を押すように流れたのが、記念すべき50枚目のシングル『Hero』。日本中、全ての世代を勇気付ける歌姫となった安室奈美恵。
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『やっぱり経験することは、いちばん未来につながるものだし、そこでしか学べないことの方がやっぱり大きい、多いので、どの時間も決して無駄ではなかったという風に思います』
こぼれ話 子育て
15歳でデビューし、戦いながら懸命に走り続けた25年。今回、母親としての柔らかな表情も少しだけ見せてくれました。
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--ちっちゃい時、お弁当なんかも安室さん、作ってらしたんですね!
『はい、作ってました』
--毎朝早起きて…
『そうです』
--タコさんウインナーとか、卵焼きとか…
『そうですね、やってました。毎朝』
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--毎朝ですか!?
『はい。でもすごくラッキーなことに、その時はまだキャラ弁っていうのがこんなにも浸透してない時だったので、なんかちっちゃいおにぎりをサッカーボールにできる海苔を巻くぐらいだけで良かったんですよ。ハハハハハ(笑)そのあとにもう、キャラ弁がすごくウワーッてなって、もうその頃にはお弁当を卒業していたので、もうホントにすごい胸を撫で下ろしました。「よかったぁ〜」って。はい』
第3章 引退
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引退について、ホームページに『私が長年心に思い…』と書いた安室さん。長年思っていたという言葉には、深いわけがありました。
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--40歳という節目を選ばれた理由は何だったんですか?
『ん〜、なんか理由はすごくすごくいろいろ本当にありすぎて深すぎて、というなんかところもあるんですけど、それがたまたま今回の40歳で、25周年というのが同時に重なっていたので、歌を歌う自分自身にピリオドを打つにはすごくいい節目の年なんじゃないかなっていう風に思いました。うん』
--「いつか引退」という思い、これはいつ頃から持ち始めていたんですか?
『自分の頭の中に「あ、なんか”引退”かもしれないな」っていうこう「引退」の文字が割とちらついたのは20代後半の時ですね』
--20代後半!?
『はいはい。そうです。割とこう手探りでやってていろいろ悩んで、「ああでもない、こうでもない」でもなんかこう相談もできずに。で、相談できないっていうことが一番の大きな悩みでもあって、その時にこう引退っていう文字がちらついた時ですら、引退のことを誰かに相談するとか言うことができず「どうしようかな?」って思ってた時に、ふとデビュー当時のことを思い出すことがあって』
『なんでそう思ったのかは今でも自分ではちょっとわからないんですけど「デビューが決まりました」「すごく嬉しい」でもすごく嬉しいってなってた時に、ふと「あ、でも一生続けていく仕事じゃないな」ってその時になんか思ってしまって。「始まりがあれば終わりがある。だからデビューがあれば絶対的に引退が来る」っていうのはその時も二個一のセットで当時は考えていたので』
『でもその時に「デビューしたらすぐ有名人になれる」って夢いっぱいの考えでいたので、その時の最後の目標もかなり大きい夢だったんですけど「引退する時には絶対絶対大きなコンサート会場で引退コンサートするんだ」って、もうそういう大きな夢ばっかりが浮かんで。で、その時にふとそれを思い出したんですよね。で、なんか”引退”っていう文字を自分でちらつかせてここら辺(あたま)にある時に「そうだよ」って、「まだ負けちゃいけないし、まだその時の夢を叶えてないでしょ」って。「引退するときは大きなコンサート会場で引退コンサートをするんだって思ったじゃん」って、それを思い出した瞬間に「そうだ」って。「まだ終われないし、今はとにかく必死な顔してもがけばいいじゃん」って思って、いろいろと本当にSUITE CHICでアルバムとか作り始めたりとか。で、そこからそういうことをして、楽しむということを忘れていたんだなって本当に単純に楽しんで、とにかく楽しみ尽くすことをやってみようかなって思ってはいたので』
35歳で迎えたデビュー20周年。ずっと目標にしてきた大きな会場のコンサート。ドームツアーをついに実現させました。
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5大ドームツアー8公演。34万人を動員。記録を塗り替えました。しかし、この時、ずっと考えてきたことが改めて心をよぎったのです。
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『リアルに引退が目の前に来たのは20周年の時だったので「あ、これはもう今がそういう時期なのかもしれないな」っていう気持ちはあったので、マネージャーさんにも「来年のドームツアーが終わったら」みたいなお話をさせていただいてて、例えば「21年目、22年目も仕事をしていくかどうかは考えさせてください」っていうお話はもう事前にはしていたので、20周年のその1年っていうのは”自分の気持ちを精査する1年”。「本当に引退する」のか、それとも「いやいや、やっぱり、歌って踊ってをまだやりたい」のか、そこは自分にこう問いかける1年にしようと』
それまで培ってきた安室奈美恵の全てを見せ切る。覚悟を持って望んだ20周年のドームツアー。
最後は『Say the word』。かつて、迷いの日々にいた彼女が息子へ向け、心の叫びを歌詞にした歌です。
歌手として生きる道は、自分で切り拓いてきた。だから、この先の未来も自分で決める。安室奈美恵の決意表明でした。
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しかし…
『最終的に、20周年が終わった後に引退することができなかったので。その時はすべてをもう本当にやり尽くした、自分の思いの丈も、やれること全てやり尽くしていたので、引退できないって知った時に「ああ、どうすればいいんだろう」って。もう燃え尽きてしまっていたので、次に何をするって考えられずにしばらくいて「いやいや、でもこんなんじゃいけないし、私がこんな風になってたらファンの人達が絶対悲しんじゃうから…自分が今まで以上にワクワクしたり、今まで以上にドキドキすることをするにはどうしたらいいんだろう」って考えて、次の引退を25周年に定めてと思っていたので、この5年をどう過ごすべきか、もう5年後にデビュー当時に思った大きいコンサート会場引退するんだっていう夢は叶えられないかもしれなかったので、20周年でやれたのも奇跡だったし、それなのに5年後にもう1回できるなんて絶対にありえないと思ったので。この5年間はとにかくコンサートでファンの皆さんに楽しんでもらうっていう5年間に集中しようと。なので毎年毎年のアルバムのリリースの計画を立てて、みんなに喜んでもらえるようなアルバムを作って、コンサートをして』
去年から今年にかけての全国ホールツアーは、自身のキャリアで最も多い40都市100公演。この数には理由がありました。自分の胸に引退を秘めていたからこそ、日本中のファンに直接お礼を言いたい。
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『「今まで応援してくれてありがとう」っていう感謝のツアーにしたかったので、それが25周年でやってしまうと、本当に何だろう、しんみりしてしまって多分泣いてできないと思ったので、そこは自分だけのツアーのテーマでお礼するっていうツアーを細かく回らせてもらって、25周年の時はいつもみたいに明るくみんなでとにかくこの2時間を楽しみ切るっていう、笑って終われるコンサートにしたかったので、引退前の年のツアーはホールツアーをやらせてくださいっていう』
どうしても会場で直接お礼を言いたかった。なぜなら、一番辛かった時、支えてくれたのはファンの存在だったからです。
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『自分が実際にすごく傷付いて、精神的に悲しかった時に、その時のツアーで初日、ステージに立った時に、ファンの皆さんの温かさがウワって一気にくる瞬間がそのツアーの時にあって、フワーって鳥肌が立った時に、私はSNSとか何かで自分を発信することがないので、何も言わない私に対して「あたしたちここにいるから、あんたはコンサートのこのステージを楽しみなさい」みたいな(笑)それを感じたことコンサートがあって、この人たちが一瞬でも「あー今日のコンサート楽しかった」って思ってくれるような瞬間をなんか作れたら、私はなんかすごく幸せ者だなぁって』
来年は5大ドーム15公演とアジア5公演で70万人を動員します。デビューの頃からの夢だった大きな会場のコンサートを破格の規模で実現させて、安室奈美恵はマイクを置きます。
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--引退まであと10か月となりました。
『そうですね』
--どんなことをやっていきましょう?
『どんなことをやっていけばいいでしょう?ハハハハハ(笑)でも本当にもういつもの自分らしくやれればいいなと。それはやっぱり一番はコンサート。とにかくみんなと一緒に楽しめる空間を作って「みんな来てくれてありがとー!」っていう、なんか楽しい1年になれば私は嬉しいなぁって思います』
--その辺り安室さんらしいですよね。あくまでも明るく。
『はい』
--前向きにっていうのは。
『そうですね。なんかこう、引退ってなると割とこうネガティヴなイメージって割とあったりするじゃないですか。そうじゃなくって、1つの通過点なので終わりがあれば次のまたスタートっていうのがあるので、この先の人生の方がもっと楽しいことが待ってるし、もっともっと長いので、新しい発見とか、新しい興味とか、何かその間に見つけたなんかやってみたいなって思うものがあったら、なんかそこに今度は情熱を注いてみるとか、なんかそういう楽しい人生が待ってるんじゃないかなって思ったりするので、なんか楽しみです』
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--歌手としてデビューして四半世紀、本当に濃い25年間だったと思います。
『そうですねぇ(苦笑)濃かったですね(苦笑)』
--女性としてもやはり結婚、出産っていうのは大きな節目だったと思うんですが。
『そうですねぇ、うん(深く頷く)』
--今でもお母さんであることっていうのは、歌う上でやはり大きな影響とか与えてると思いますか?
『それはやっぱりあると思いますね。いろんな感情のコントロールの仕方とか、感情の入れ方とか、存在の大きさっていうのは、やっぱり息子がいたから感じられるものだったんで、今の私の物の考え方、見方っていうのは息子の存在があるからこそ、今の考え方、物の見方になっているので、あの時、出産してなかったら多分全然違う安室奈美恵がここに座ってるか、座ってないか(笑)だと思います』
--最新曲『Finally』では”守るものがあるから強くなれるの”という歌詞がありましたが、まさにその守るべきものがあるからこそ、ここまで来れたという実感なんでしょうね。
『そうですね、本当に。割と年を重ねてくにつれて守らなきゃいけないものも増えたし、大切なものの大きさ、偉大さも割とこう実感してはいるので、やっぱりもう、そうですね。うん』
--自分が守ってあげないと、どうにかなっちゃうわけですから、やっぱり「しっかりしなきゃ」って思いますもんね。
『そうなんですよね。ただなんかもう、最近はそれもなくなりつつあるので…』
--ですよね?
『そうなんですよ…親離れが進んでて。私の子離れが全く出来てないので(笑)「おめえ、うぜえよ」みたいな感じの毎日ですね(笑)』
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★これまでの軌跡を『Finally』に乗せて
フォトセッション
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ハイ、ありがとうございました!
『ありがとうございました』
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動画リンク
NHK『特集番組 安室奈美恵 告白』
※動画は外部サイトのものであり全て自己責任でご視聴ください!
KJインプレッションズ
安室奈美恵が引退を発表した2か月後に放送された『安室奈美恵 告白』は衝撃的だった。
愛息の存在や少女だった自分の夢に支えられながらも『歌手・安室奈美恵』はずっと1人だった…それが大きな苦悩だった…引退の理由をそう『告白』したのだから、ファンとしてはやりきれない気持ちになった。
母親との死別、SAMとの離婚、支援者の裏切り…
この番組では語られなかった負の記憶が、引退という決断に大きな影響を与えていたことを示唆したのだから。
ファンにできることは、彼女が創った作品とコンサートを思いきり楽しむことしか無かった。ただ、それは彼女の歓びになっていたという。
『それなら、ベストアルバムと最後のツアーを思いきり楽しむしかない』
まだ引退を発表したことへの心の準備は出来ていなかったが、多くのファンがそう思うキッカケになった番組だったのではないか。
あれから1年2か月。安室奈美恵はとびきりの笑顔と少しの涙を見せて、ステージを去った。今はどこでどんな暮らしをしているのだろうか?
安室奈美恵の幸せを、願わずにはいられない。
もしも公私にわたる安室奈美恵の全てを心から委ねられるほど信頼できる人ができて、長年走り続けだが故に限界を超えて悲鳴を上げていた心や身体が癒えて、新しい幸せな毎日を過ごす中で「どうしても歌いたい」という強い欲求が湧き上がるようなことがあれば、その時はいつでもステージに帰ってくればいい。
とにかく今はどうか、傷だらけの心身をゆっくり休めてほしい。
ファンが安室奈美恵を温かく迎え入れる準備は、いつでもできている。
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NHKで最後のロングインタビューが放送されるのを機に、1年2か月前に放送された特別番組『安室奈美恵 告白』をここに文字起こしをしました。
まだ実感の湧かなかったあの頃。この番組で語られた安室奈美恵の生々しい告白が、これから始まるラストイヤーの不安と期待に現実味を与えました。
引退の日を過ぎて、放送当時とは異なる印象も受けるこの番組。是非一度読んでみてください!(1/20放送の『最後の告白』も文字起こし予定!)