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NHK『平成史スクープドキュメント』第4回 安室奈美恵 最後の告白(2018.8.31収録/2019.1.20放送)
安室奈美恵|最後の告白
(語り・聞き手:座間味圭子ディレクター)
--最後に私とNHKのインタビューを受けてくださったのは?
『なーんですかねぇ、すごくやっぱり自分自身にとってもこの25年間を振り返るっていう、自分ではそういう作業はできなかったなと。きちんと私の気持ちだったり今の状況だったりというのを伝えていただけると思ったので、私は最後にきちんとお話をさせていただく場所として選ばせていただいたっていう感じです』
伝説のライブ|新たな音楽史の幕開け
平成7年の夏。ステージには小室がプロデュースしたスター達が勢揃い。会場は3万人の観客で埋め尽くされていた。
その舞台袖でひときわ緊張しながら出番を待っていたのが当時17歳の安室奈美恵だった。わずか二日前に小室が書き上げたばかりの曲を本番でいきなり歌うことになっていた。
『あんなたくさんの集客の場所のステージに立ったのも初めてだったし、小室哲哉さんのプロデュース楽曲第1弾を披露する。でも曲はまだ未完成。でも披露しなきゃいけないっていうところ。もう本当に「どうしよ、どうしよ」って言いながら、ギリギリまで振り付け確認して、ギリギリまで歌の歌詞を確認してっていう』
『「あ、いよいよ始まるんだな」って「小室さんプロデュースがスタートするんだな」と。今ここに、この会場にいる皆さんを相手に、私は小室さんの楽曲でどう進めばいいのかっていうのは、ちょっと恐怖もあり、プレッシャーもありで、なんかホントがむしゃらでした!フフフ(笑)』
小室哲哉と最強タッグ|”トップスター”への道
今回、話を伺った私は安室さんと同世代。安室人気が急上昇した頃、まだ親元で暮らす大学生でした。ロックに夢中でドラムを叩いていた私は日本の歌手にあまり関心がなかったのですが、テレビや雑誌で安室さんを目にしない日はありませんでした。
19の若さでトップスターになった時、安室さんはどんな気持ちだったのでしょうか?
『小室さんにプロデュースしていただいた時期っていうのは、もう本当にすごく忙しくて。で、次から次へと新しい新曲が「次はこれ出します」「次はこれ出します」っていう形でレールが敷かれていたので、その敷かれたレールの上をきちんと走っていくっていうことだけにとにかく集中してて、その「失敗しちゃいけない」「脱線しちゃいけない」っていうので、割と必死だったかなと』
『なので自分では「こうしたい」っていう考えになる余裕が、ちょっとなかったかもしれないですね』
当時、街を歩けば安室さんを真似た、いわゆる”アムラー”で溢れていたことを覚えています。厚底のブーツに細い眉毛のファッション。靴を買いに行けば店には厚底ばかり。まさに安室一色でした。特に安室さんのファンではなかった私は、この熱狂もすぐに終わると、正直思っていました。でも、その後の安室さんの生き方は同じ平成を生きる女性に大きな影響を与えることになります。
そして私も、安室さんに惹かれていくことになるのです。
絶頂期に1年間の産休宣言|「仕事と子育て」の両立を決断
私は当時、就職活動の時期で、女性のキャリアと人生設計を考え始めていただけに、安室さんの産休宣言に驚きました。男女雇用機会均等法が施行されて10年余り。先に社会に出た先輩たちは「仕事を優先」すべきか、「出産のためキャリアを中断」すべきか悩んでいました。
第一線で活躍しながら、あっさりと子育てを選んだ安室さんの選択は、私たち女性の心に響きました。
安室さんの潔い人生の決断が共感を呼び、この曲はいまも結婚式場で流される平成の名曲となりました。
「仕事と子育て」の両立という安室さんの選択を、私は「すごい」と思う一方で、「果たして両立できるものなのか?」自分の人生を重ねて、不安も感じていました。
平成不況 激変する音楽シーン|新たな歌姫達の登場
--1年間休養された時っていうのは、何か新しく湧き上がってきた気持ちとか、ある時期だったんですか?
『その時はまだ二十歳だったので、1年って長くて、なんかこう「長いな」って思った瞬間に、やっぱり焦りっていうのが次に押し寄せてきて「え、でもなんで私は焦ってるんだろうか?」「早く仕事に復帰したいっていう欲だけなのか?」焦りを通り越したときに、ふと自分を一歩引いて見ることができて「私ってこういうポジションなのかな?」「私ってどういうふうに見られてたのかな?」っていうのを、冷静にキャッチできるようになったとか。「”安室奈美恵”は今後どうしたらいいかな?」っていうのをちょっとずつ考え始めた時期だったかなって思いますね』
『これからもっと、この先が小室さんプロデュースを離れたときからが本当の始まりなのかなって。でもなんかこう、みんなに気に入ってもらえる楽曲がどれなのかっていうのが、どう探せばいいのかがやっぱり分からなくて。なんかもう不安で不安でしょうがなくて。「みんな気に入ってくれてないんじゃないか?」っていう思いが割と大きくて。でもこんなんじゃいいものができないんじゃないかな、と』
激変する音楽シーン|再起への”苦悩と模索”
『自分で作詞もしなきゃいけなかったりとか、作曲もしなきゃいけないんじゃないかっていう、なんか…そういうのもあったりして、機材ガーッて揃えてやってみたりとか(笑)っていうのはちょっとずつしてましたね。』
--機材?
『はい。機材買って…』
--どんな?
『ちっちゃい楽器と、ちっちゃいコンピュータと。で、なんかこう鼻歌を例えばこう自分で打ち込めるようにキーボードとか(笑)なんかそういうのは一通り揃えたんですけど「あー今後どんな曲がいいのかな?」ってキーボード触ってみたりはしたんですけど…やっぱりその得意・不得意があるなっていうのはすごく自分自身で気付いて、作曲に関しては、すぐに卒業しました(笑)作曲はもう本当に無理ですね』
故郷・沖縄でずっと応援してくれていた母親が突然亡くなったのだ。
その悲しみから2週間も経たないうちに、安室さんは生放送の番組に出演しました。その時の映像です。(HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP 1999年3月29日放送)
プロとして、毅然と歌う安室さん。私は、安室さんの仕事に対する姿勢に強く心を揺り動かされました。
その3年後、安室さんは離婚を経験し、シングルマザーになりました。ステージに立ちながらも、幼い子供との時間を大切にしようとする安室さんに、たくさんのエールが送られました。
困難を言い訳にせずに、常に前へ進もうとする安室さん。私は、安室さんという一人の人間に強く惹かれていきました。
個性的なメンバーが、型にはまらない発想で曲を生みだす姿に、強い刺激を受けた。
『今まではやっぱりちょっと考えすぎてたり、なんかちょっとプレッシャーに押しつぶされそうな時の方が多かったなって。でも、そんな”安室奈美恵”からのちょっとした開放感があって、その作業がとてもとても楽しくて「あれっ?」」って。今までこうやってワクワクドキドキ感を持ちながら楽しく作ってたのかなって。そのときはハッと気付かされたというか』
安室は気付いた。音楽はもっと自由だ。自分が本当にやりたいことを追求すればいい。
『「安室ちゃん、どういうのが好きなの?」で、「どんな歌詞がいいの?」っていう。「あ、今までこういう会話ってなかったな」っていう。あーもう「作品作りをしてるんだな、今」っていう実感がなんかこう湧いてきた。初めて”音楽”っていうものに触れたかなっていう感じはありますね、うん』
このときメンバーだったAIは、安室が変わる姿を間近で見ていた。
AI『最初に会ったときは、なんかすごいシャイな女の子という感じがしたんですけど、いろんな人とコラボしてたじゃないですか。そういう曲を作っているうちに多分その(自由な)モードに入ってったんじゃないかなっていうのは思いますけどね。いろいろなんか越えて、乗り越えてまたこう強くなった感じが、感じましたね』
平成の歌姫 奇跡の復活へ!|安室が選んだ”新たな道”
それは、コンサート。
自身、極度の人見知りだと言うが、敢えて観客と直接向き合って、歌を届ける道を選んだのだ。多い時には年間9ヶ月、全国60公演を行う桁外れの規模だった。
--「コンサート」って思うようになったっていうのは?
『いつの間にかコンサートをしてる自分が一番楽しそうだった。ハハハ(笑)かなっていう。コンサートが多分毎年毎年好きになった。で、作る作業も楽しかった』
--それは不安みたいなものは?
『常に不安はあります。今の自分にはすごく刺激的でワクワクする楽曲であっても、それがファンの皆さんにとってそういう楽曲になるかどうかはわからないので、いつもすごく不安だし、でもその反応が見れるのはコンサート』
--生身の、というか。
『そうですね』
--生のやりとりというか。
『”やりとり”ですね、はい。そうですね』
『実際に同じ空間で同じ楽曲を体感したときに、皆さんがどういう反応をしてくれるのかは毎回すごい怖いです。で、コンサートでMCがないのも、おしゃべりも苦手だし、うまく表現できないので、だったらそこを克服するよりもやめてしまって、コンサートの演出に集中をして「MCなかったね」じゃなくて「あ〜!楽しかったね!」っていう内容のコンサートをすれば、MCがなくても皆さんは納得してくれるんじゃないかっていう』
10年間で安室は日本全国、そしてアジアで340万人以上を動員。女性ソロアーティスト歴代最多の記録を達成した。
時代の流れとは違っても、自分の納得する道を選んだ安室。その背中を押したのは、あの小室哲哉だったと、今回初めて明かした。
『たまたま同じイベントに出させていただいてて、そのときも久しぶりにお会いすることがあったので、楽屋にご挨拶したときに「すごいね」って。「頑張ってるね」って。「奈美恵ちゃんは今の奈美恵ちゃんのままで」っていう。「君にしかできないことを」っていう。なんかそういう割とサラッと言ってくださったそのときの言葉は、すごく嬉しかった。「自分を信じてやっていっていいのかな」っていう。「うん。これで間違ってないかもしれないな」っていう勇気は湧いたかなって思います』
ひたむきに、ファンと向き合い続けてきた安室。期せずして、平成をリードする歌姫に返り咲いた。
絶頂期に引退を決断|”初めて語った胸の内”
コンサートに軸足を移して、再びトップスターになった安室さんですが、デビュー25周年の年に突然、衝撃的な発表を行いました。平成最後の9月に、歌手としての活動を引退するというのです。
これまで、引退の理由を語らなかった安室さん。今回、初めてカメラの前で胸の内を明かしました。
--引退しようと思った最後に背中を押したものっていうのは何だったんですか?
『なーんだったのかな…ファンの皆さんの中にやはり”いい状態の安室奈美恵”を思い出として残してほしいなって。やっぱり、一つのゴール地点はそこだったりはしてたので』
『ちょっと声帯もいろいろ壊してしまって、そういう不安もあったりはしていたので、そろそろこう「声帯も限界なのかな?」とか。「声がうまく出ないな」とか。そういうこともあったりはしていたので』
安室さんは7年も前に、”歌手の生命線”ともいえる声帯を壊していたというのです。それをおくびにも出さず、全力でステージに立ち続けていた安室さんの信念に、私は心底、心を打たれました。
そして引退へ|歌姫が最後に伝えたこと
引退を発表後、安室は歌手人生の最後となるツアーを1年をかけて行った。ステージには、世界中のクリエイターによる最先端の映像演出を新たに取り入れた。最後まで”進化する安室奈美恵”を楽しんでもらおうとこだわりを貫いた。
安室がコンサート最後の曲に選んだのは、ある人に作ってもらった新曲だった。
小室哲哉が、安室に16年ぶりに書いた曲『How do you feel now?』(あなたは今、どんな気持ちですか?)
それは、困難を乗り越え、平成という時代を走りぬいた安室を労う歌。そして、ともに平成を生き、新たな時代へと向かう全ての人を励ます歌だった。
--最後に歌った曲が、昔の曲ではなく新曲だった。これはどういう思いからなんですか?
『なんですかねぇ。なんか…新しい自分で終わりたかったのかなっていう。』
--常に、最後までどんどん進化し続けていく。
『そうですね。うん』
『本当に、いろんなことが目まぐるしく、なんか、流れていった時間を濃厚に過ごして、いろんなことを勉強させてもらって、いろんな本当に経験をして、25年間をやりきったっていうのはありますね。ちゃんと悔いなく。うん』
『すごく、あっという間でした。25年間は。デビューできたことも奇跡だったので、14歳の女の子がグループでデビューして、40歳になるまで”音楽”っていうか”歌”に携われるなんて本当に思ってもいなかったので、奇跡だなって。よかったな、頑張って本当によかったんだなって』
みなさんのすばらしい毎日の中に、すばらしい音楽が常にあふれているよう、心からそう願っています。
これからも、すてきな音楽にたくさんたくさん、ぜひ出会って下さい。
みんな元気でねー!!バイバーイ!!!!!
動画リンク
NHKスペシャル『平成史スクープドキュメント』第4回 安室奈美恵 最後の告白
※動画は外部サイトのものであり全て自己責任でご視聴ください!
KJインプレッションズ(2018.1.20)
『安室奈美恵 最後の告白』のタイトルに相応しい見事な番組だった。
これまでのインタビューは、安室奈美恵の”人間性”や”女性としての生き方”にフォーカスした内容が多く、”歌手”や”ダンサー”という職業人としての要素があまり語られていなかったように思う。しかし、今回のインタビューは番組の性質やインタビュアーの経験から、より『歌手・安室奈美恵』にフォーカスした内容となっていた。
個人的には、ヴォーカリストとして、ダンサーとしてのテクニカルな側面をより深く聞き出して欲しかったところではある。あれだけ”歌って踊れる”40歳の女性がどのように作られ、維持し、進化し続けたのか。一番知りたかったことは”それ”だった。
それでも、これまでのテレビインタビューの中では最も満足度の高い内容だったと言える。
一通りの機材を揃えて自ら作曲に挑戦していたエピソードはかなり意外だった。
安室奈美恵と小室哲哉の関係性が描かれる中で、自分が最も心を打たれたのは、小室が安室の背中を押す言葉をかけたエピソードでも、『How do you feel now?』のエピソードでもなかった。
80年代に世界的なヒット曲を生み出した音楽レーベルPWLを訪れて秘密を探り、シンセサイザーで作った新しいリズムをディスコで試して観客の反応を見ながら楽曲を制作していく方法に辿り着く。帰国後に作詞作曲に没頭し、自らDJを務めて観客の反応を確かめながらヒット曲を生み出していった小室哲哉。
出産のために休養した1年の間に、後に『98年デビュー組』と呼ばれる宇多田ヒカル、椎名林檎、浜崎あゆみ、aiko、MISIAら新たな女性シンガーが台頭して音楽シーンが激変。小室哲哉のプロデュースを離れて、苦悩しながら模索を続ける中で”音楽を作る楽しさ”を初めて知り、コンサートで観客の反応を確かめながら自分が進むべき道を切り拓いていった安室奈美恵。
2人は共に『観客の反応を確かめる』という方法を徹底して頂点に上り詰めた。プロデューサーと歌手、時代の違いはあれども、2人にしかできなかったやり方だ。まるで、そこにはある種の見えない師弟関係があったかのようだ。そして2人は同じ平成の終わりに、引退を決めた。
なんと美しい結末だろうか…本当に感動した。
安室奈美恵は引退後の今、声帯を壊していたことを初めて明かした。
それが6曲で公演を中止した2011年11月6日の横浜アリーナのタイミングを指しているのかはわからない。
以降、よく「歌い方が変わった」「高音が出なくなった」と言われていたが、確かに声帯への負担の少ない歌い方だとされ、氷室京介も同様のマイナーチェンジを繰り返していたのを思い出した。
そんな声帯がいつまでもつのか?という不安もあって『いい状態の安室奈美恵を思い出に』という本人の思いが、引退を決定付けたという。
ここでもまた、氷室京介を思い出した。
余談だが、平成の音楽シーンのもう一つの潮流であったバンドブーム、そしてヴィジュアル系バンドの祖でもあるBOØWYの元ヴォーカリスト、氷室京介のことも話題にして欲しかった。
話を元に戻す。
聴力障害で引退に傾いていた氷室が制作した、現時点で最後のスタジオアルバム『“B”ORDERLESS』は、自分の中で彼の最高傑作である。同様に、引退を決めていた安室が制作したスタジオアルバム『FEEL』と『_genic』は自分の中で彼女の最高傑作である。
2人とも最後に最高の作品を残した。これは本当にすごいことだ。と、同時に彼らの肉体を破壊した音楽の神には、恨み節の1つでもぶつけたい気持ちになる。
安室奈美恵も氷室京介も、世間的に認知されている絶頂期はやはり平成の初期なのだろう。2人が最後にリリースしたベストアルバムは、同様にその頃の楽曲をセルフカバーした形となっている。
けれども、熱心なファンにとっては違うだろう。安室奈美恵が快進撃を続けていた小室哲哉プロデュース時代に学生時代を過ごした自分は、当時の彼女の楽曲にほとんど積極的な興味を持っていなかった。(当然ながら能動的には聴いていたし嫌いなわけでもなかったが…)しかし、キーディのカバー『Wishing On The Same Star』を好きになって、SUITE CHICの活動で急激に興味が高まり、アルバム『STYLE』で恋に落ちた。以降、安室奈美恵の作品はリリース毎に劇的な進化を遂げていくのを目の当たりにしてきた。
安室奈美恵は最後まで進化し続けた。そして”最新こそが最高”であり続けたまま、ステージを降りた。しかも、最後の最後で師ともいうべき小室哲哉の最新楽曲を歌って。改めて、これ以上はないという本当に見事な引き際だと思う。
安室ちゃん、たくさんの作品と思い出をありがとう。
あなたは記憶の中で永遠に最高の歌姫です。
26年間、本当にお疲れ様でした。
安室ちゃんの新しい冒険が幸福に包まれることを心からお祈りします。
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2019年1月20日、遂にNHKで彼女の最後のロングインタビューが放送されました。
『平成史スクープドキュメント 安室奈美恵 最後の告白』です。
歌手・安室奈美恵が残した最後の言葉を活字として記録すべく、番組のインタビュー部分を中心に文字起こししました。
迂闊にも見逃してしまった方、言葉を活字で噛み締めたい方、動画よりも気軽に安室奈美恵の言葉に触れたい方。
安室奈美恵を愛したファンすべての方に捧げます。是非読んでください!(一旦、画像無し)