hide Profiles -hideのプロフィールについてあれこれ

KJ
20年前、不慮の死を遂げた伝説のミュージシャンhide。当時、誰よりも先見の明を持っていた彼の足跡は、今も多くの人々に多大な影響を与え続けています。

この記事では、これからも語り継がれていくべきhideの人物像をまとめてみました!

hideの最期の日々を旅する映画『HURRY GO ROUND』

2018.06.09

HIDE(X JAPAN)
hide(hide , hide with Spread Beaver , zilch)

Name -名前

Real name -本名

松本秀人(まつもとひでと)

Buddhist name -法名

秀徳院釋慈音(しゅうとくいんしゃくじおん)

本名の「秀」の名は院号の一番、最初の字に現され、「慈音」は音楽で活躍した証し。「釋」は釋号といって淨土真宗であることを物語っている。淨土真宗は、教えに戒めはなく、戒名とは言わず法名という。

Nickname -愛称

hide , hideくん , hideちゃん , ヒデラ

Date -日付

Date of Birth -誕生日

1964年12月13日 日曜日 夕方

神奈川県横須賀市緑が丘28 社会福祉法人聖テレジア会 聖ヨゼフ病院にて誕生(2,600g)

Date of Death -命日

1998年5月2日 土曜日 午前8時52分

東京都港区南麻布2丁目1-21ノアーズアーク南麻布マンション301号のリビングにて午前7時半頃、同棲中の女性がドアノブにタオルを巻き付けて床に座った状態で縊死している黒いタンクトップにトランクス姿のhideを発見。

東京都立広尾病院に緊急搬送されたが、集中治療室にて死亡が確認された。(享年33歳)

死因については警視庁見解を中心とした「突発的な自殺説」、所属事務所見解を中心とした「頸椎牽引治療中の事故死説」、”法医学関係者や故人の知り合いからの伝聞”を中心とした「窒息による自慰行為説」、陰謀論者による「自殺に見せかけた他殺説」など諸説ある。
しかし、真相はhide本人と現場を見た極めて少数の関係者にしかわからない。

Zodiac Signs -星座

射手座=Sagittarius

Lifetime -生涯

12,193日
1,741週+6日
400ヶ月+19日
33年+140日

Physical -身体

身長

170〜173cm

体重

52~55kg

血液型

AB型

視力

近視
乱視
鳥目
普段は薄い黄色の入ったコンタクトを使用

フォーマル:26.5cm
その他:25.5cm(US8)

タトゥー

右腕には、1989年7月2日、初海外ロケの際にTAIJIに煽られて入れた「青い薔薇と剣」の柄。TAIJIは「赤い薔薇」を入れたそうだ。
しかし、入れてから親に対して申し訳ない気持ちが湧いてきたらしく、バレる前に自ら「ホラホラ!最近のは、半年くらいで消えるんだってさっ!」と母親に嘘をついた。

後にLAでLUNA SEAのJと一緒にお揃いのトライバル柄を追加している。

尚、腰にもタトゥーが入っているようだが、猥褻な柄らしく確認できるものが無い。

Family -家族

祖母

かつて横須賀にて『みどり美容室』を経営。

父:松本満(まつもとみつる)

1989年春頃~1998年5月1日まで『PUB Park Side X』を営業していた。
hideの葬儀の際は、喪主を務められた。

母:松本順子(まつもとじゅんこ)

「優れた人になるように」との願いを込めて秀人と命名。

弟:松本裕士(まつもとひろし)

1968年3月20日生まれ。
hide生前のパーソナル・マネージャーをつとめる。2005年まで横須賀市に設立されていたhide MUSEUM総支配人。hideが設立したマネージメントオフィス、株式会社ヘッドワックスオーガナイゼーション代表取締役。

婚約者

元スタイリストのY.Sさん(ゆきえさん)とされる。
約9年間(または5年間)交際されていたが、実際に婚約はしていなかった。hideさんの親族の計らいで婚約者として親族同様に葬式に参列。その後、結婚説と海外移住説がある。

大変辛い想いをされた彼女に対して、今でも多くのファンが「hideの分まで幸せになっていて欲しい」と願っている。

この”婚約者”とされる女性は、晩年のスタイリスト・高橋恵美氏ではない。(1994年にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのギタリスト・故アベフトシ氏と結婚)
但し、元交際相手ではある模様。

Preference -嗜好

愛車

ジャガー デイムラー・ダブルシックス

年式:1992年
色:黒
ハンドル:右

キャデラック(くじら号)

年式:1959年型
色:黒
ナンバープレート:カルフォルニアNo.「HIDE110」

タバコ

CASTER
Marlboro
MILD SEVEN Super Lights

香水

Calvin Klein エタニティ フォーメン
CHANEL アリュール オム
CHANEL エゴイスト プラチナム
Christian Dior ポワゾン
TIFFANY ティファニーフォーメン
VERSACE ブルージーンズ

アクセサリー

NECROMANCE(ネクロマンス)

LA<ロサンゼルス>Melrose Ave.にある大人気のオカルトショップで、定番の骸骨・蜘蛛・蝙蝠などをデザインしたアクセサリーや、本物の毒蜘蛛を埋め込んだMFMなどをはじめ、剥製・標本・衣類・雑貨など多数の商品が不気味に並びディスプレイされている。

目玉のリングや雲のブレスレット、ドクロコヨーテのピアスなどを愛用していた。

芸能人

ダウンタウン(松本人志)

「昔から物凄いファンだったから、”HEYHEYHEY”に出る前の日、緊張しすぎて眠れなかった。もう青ざめるくらい緊張してて、松本さんにイジラれるかなって期待したんだけど俺には全然話題こなくて、ああ、やっぱりダウンタウンさんて喋りがダメとか使えなさそうとか分かるんだなーって思った。そういうのも瞬時に分かるんだなぁって」

山口小夜子

1989年11月、雑誌の取材で「時々、ステージのhideが山口小夜子に見えることがあります」と言われ、「俺、好きですよ。大好き。だけどそんないいもんじゃないっスよ(とテレまくる)そんなこと言ったら、小夜子さんが可哀想」と答えている。

伊藤つかさ

1996年、雑誌の取材で「昔、好きだったアイドルは誰ですか?」と質問されて「伊藤つかさ」と答えている。

山瀬まみ

デビュー当時のバラエティ番組で「好きな人は?」と質問されて好きな人は「山瀬まみです」と答えている。特に声が好きだった模様。

樋口可南子

誕生日が同じ。特に顔立ちや目が好きだった模様。
ヌード写真集を持っていた。

カサブランカ

カップ麺

カップヌードル
どん兵衛

Education -学歴

1968年4月:聖佳幼稚園
1971年4月:横須賀市立田戸小学校
1977年4月:横須賀市立常葉中学校
1980年4月:逗子開成高等学校
1983年4月:ハリウッド美容専門学校
1984年4月:ハリウッド美容専門学校専門課程
1985年8月6日:国家試験 美容師免許証取得

Career -経歴

中学3年のとき、友人の家でKISSのレコード「ALIVE!」を聴き、ロックに目覚める。

職業

ギタリスト / ミュージシャン / シンガーソングライター / 音楽プロデューサー

担当楽器

ボーカル / ギター / ベース

ジャンル

ロック / オルタナティヴ・ロック / ポップ・ロック / ハードロック / ヘヴィメタル / インダストリアル・ロック

SABER TIGER / SAVER TIGER

1981年後期:『SABER TIGER(サーベルタイガー)』を結成 横須賀『ROCK CITY』にて初LIVE
1985年7月:ソノシート『SABER TIGER』リリース
1986年:バンド名を『SAVER TIGER』に変更
1987年1月28日:目黒鹿鳴館のコンサートを最後に『SAVER TIGER』解散

X / X JAPAN

1987年:YOSHIKI率いる『X(エックス)』に加入
1988年4月14日:1986年にYOSHIKIが設立したインディーズレーベル”エクスタシーレコード”より『Vanishing Vision』リリース
初回プレス分1万枚を完売し、インディーズ・レーベルながらメジャー・チャートにランクインを果した日本史上初のアルバムとなった
1989年4月21日:CBSソニー / Siren Songから『BLUE BLOOD』でメジャーデビュー 日本有線大賞新人賞・日本ゴールドディスク大賞
1992年8月24日:米タイム・ワーナーとの契約、ベーシストHEATH加入、バンド名の『X JAPAN』への変更を発表
1997年4月:『X JAPAN』ヴォーカルToshlが脱退
1997年9月22日:『X JAPAN』解散を発表
1997年12月31日:『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』『第48回NHK紅白歌合戦』で活動終了

大魔神五人組

XでSECRET GIGを行う際のバンド名。
HIDE:VOCAL
PATA:BASS
YOSHIKI:GUITAR
TAIJI:GUITAR
TOSHI:DRUM
にパートチェンジしてLIVEが行われた。

hide

1993年1月21日:『LUNA SEA』のJとINORANと共に『MxAxSxS』名義でオムニバスアルバム『DANCE 2 NOISE 004』に参加
1996年:レコードレーベル『LEMONed(レモネード)』設立

hide with Spread Beaver

1998年1月1日:朝日新聞全面広告にて『hide with Spread Beaver』活動開始を発表
1998年1月28日:シングル「ROCKET DIVE」リリース
1998年5月13日:シングル「ピンクスパイダー」リリース
1998年5月27日:シングル「ever free」リリース
1998年10月21日:シングル「HURRY GO ROUND」リリース
1998年11月21日:アルバム「Ja,Zoo」リリース

zilch

1996年:結成
1998年7月23日:アルバム「3・2・1」リリース

KJインプレッション

赤い髪のエイリアンがこの地球を去ってから、実に20年という歳月が流れた。

あの頃の自分にとって”X JAPAN”というバンドは、既に解散していた”BOØWY”と並んで心の大きな部分を占める存在だった。

1990年代はまだ”インターネット”が今ほど一般的なものではなく、”ミュージシャン”という存在に触れられる機会はテレビやラジオ、音楽専門誌やスポーツ紙に限られていた。当時も今と変わらず最大の機会はもちろんライブだったが、地方在住の中高生にとっては超えるべきハードルが多過ぎた。結局、在りし日のhideのライブパフォーマンスを目撃することは叶わなかった。それは、自分の人生において大きな心残りの1つになっている。

1990年代後半から2000年代初頭になり、インターネットが一般社会に普及し始めてからは、それまで知ることの出来なかったhideの様々な画像や映像やエピソードに触れて、知識欲は大いに満たされた。けれども、それはhideの過去を訪ねる旅でしかない。徐々に刺激は薄れていく。

ベストアルバムやトリュビュート盤などのリリースや追悼イベントがあったけれど、正直なところあまり興味を持てなかった。音楽や映像を通してhideがくれた唯一無二の刺激であったり、好奇心を掻き立てるような音楽体験を新たにもたらすものではないからだ。hideが直接関与していない作品やイベントは、何処か縁遠い出来事に感じられた。

そもそも自分は、氷室京介や布袋寅泰や吉井和哉、安室奈美恵や椎名林檎やBONNIE PINK、クレイジーケンバンドなどといった敬愛する他のアーティストと同じように、必ずしもhide”だけ”を熱烈に追っていた訳ではない。全ての作品を知っていたとしても、知らないエピソードは多々ある。ツアーにしても、同一ツアーで複数の公演に参加することは稀だ。

ここ数年はONE OK ROCKやMIYAVIなどもかなり愛聴しているが、彼らのバイオグラフィーやエピソードをあまり多くは知らない。未だライブに参加したこともない。彼らの存在を知らない人と比べれば遥かに多くの知識を持っているだろうけれども、熱烈なファンの持つそれからすれば初心者も同然だろう。

そういう観点からすれば、自分はいずれのアーティストに対しても「熱烈なファンではないかもしれない」という自覚がある。アーティスト側からすれば「尊敬を持って作品に接してくれること」や「作品を愛してくれること」が全てなのだと思うけれども、ファン同士の間では必ずしもそうではない。特にインターネット上でのコミュニケーションは、嫌な想いをすることも多かった。

そういう”ライブ未体験”や”知らないエピソードの多さ”といったことがコンプレックスとなり、やがてhideへの想いは内に秘めておくものとなっていった。”自分にとってのhide”は永遠に自分の中で生き続けている。多感な時代の傍にあった作品は色褪せることなく輝きを放ち続けたままだ。それで十分だった。そして、hideの幻影を追うことはあまり無くなっていった。

けれども「あれから20年」という節目は、自分にとっても特別なものだ。hideの年齢をとっくに追い越して、自分も少しは大人になった。今ならばインターネット上のコミュニケーションで酷く落ち込んだり傷付いたりすることもない。それどころか、あの頃のように「いかに自分がhideを愛しているか」を顕示したり競い合うようなコミュニケーションはすっかり影を潜め、hideがいた時代を懐かしんだり、純粋にhide愛を語るばかりになった。その反動だろうか、インターネット上に溢れるhideの情報の中には、あからさまなデマも目立つになってきた。

今こそ、”心の中のhide”を外に出してみる良い機会かもしれない。”hideを知ったばかりの人”や”これからhideを知る人”に向けて、自分の知る限りのhideのパーソナリティーを記事にまとめてみることにした。記憶の確認のため、久しぶりの”hideの過去を訪ねる旅”に出てみると、さすがに薄れていた知識も多く、望外に楽しみながら書くことができた。まだまだあるので時々書き出してみたい。

この記事が全てのhideファンに受け入れられるとは思わないが、”hideについてのクエスチョン”を持った人がこの記事の中からアンサーを見つけてくれたならば満足だし、hideが語り継がれていくための一助になれれば、それほど嬉しいことはない。



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