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イチロー選手引退会見全文
記者会見
(司会)イチロー選手から皆様へご挨拶がございます。よろしくお願いします。
「こんなにいるの!?ビックリするわ(苦笑)そうですか…いやぁ、この遅い時間にお集まりいただいて、ありがとうございます」
「今日のゲームを最後に、日本で9年、アメリカで19年目に突入したところだったんですけども、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました」
「最後にこのユニフォームを着て、この日を迎えられたことを大変幸せに感じています。この28年を振り返るには、あまりにも長い時間だったので、ここで一つ一つ振り返ることは難しいということもあって、ここでは、これまで応援していただいた方々への感謝への思い、そして球団関係者、チームメイトに感謝を申し上げて、皆様からの質問があれば、できる限りお答えしたいというふうに思っています」
(司会)ありがとうございます。
質疑応答
(司会)これより、質疑応答に移らせていただきます。質問がおありの方は、挙手にてお願い致します。こちらから指名をさせていただき、マイクをお持ちします。社名・お名前を名乗ってから質問をしていただきますようお願い致します。
また、時間に限りがございますので、一回につき一答とさせていただきます。では、質問のある方、お願いします。
ーー現役としての選手生活に終止符を打つことを決めたタイミング、そして理由をお聞かせください。(テレビ朝日・草薙和輝アナ)
「タイミングはですね、キャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかねぇ…何日前とははっきりとお伝えできないですけど、終盤に入った時です。もともと日本でプレーする、今回東京ドームでプレーするところまでが契約上の予定でもあったということであったんですけど、キャンプ終盤でも結果を出せずに、それを覆すことができなかったということですね」
ーー今、その決断に後悔だったりとか、思い残したようなところというのはないでしょうか?(テレビ朝日・草薙和輝アナ)
「今日の球場の出来事…あんなもの見せられたら、後悔などあろうはずがありません。もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと、『他人よりも頑張った』ということはとても言えないですけど、そんなことは全くないですけど、『自分なりに頑張ってきた』とははっきりと言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか”後悔を生まない”ということはできないのではないかな?というふうに思います」
ーー今、テレビを通じて数多くの子供達が見ていると思います。これから野球を始める子もいると思います。そんな子供達にぜひメッセージをお願いします。(TBS・井上貴博アナ)
「シンプルだなぁ。メッセージかぁ〜。苦手なのだな、僕が。……野球だけでなくてもいいんですよね?始めるものは」
「自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいなぁと思います」
「それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁にも、壁に向かっていくことができると思うんですね。それが見つけられないと、壁が出てくるとあきらめてしまうということがあると思うので。いろんなことにトライして、『自分に向くか向かないか』というよりも『自分の好きなもの』を見つけてほしいなぁというふうに思います」
ーーイチロー選手が熱中されてきた、今まで28年、あまりにも長かったっておっしゃってましたけど、1992年に1軍にデビューされてこれまで、今これを伺うのは酷かもわかりませんけど、今ふっと思い返して『このシーンが一番印象に残っている』というもの、ぜひ教えていただければ。(TBS・井上貴博アナ)
「う〜ん……今日を除いてですよね?…この後、時間が経ったら今日のことが一番真っ先に浮かぶのは間違いないと思います」
「ただそれを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものは大したことではないというか。自分にとって、それを目指してやってきたんですけど、いずれそれは僕ら後輩が、先輩達の記録を抜いていくというのは『しなくてはいけないこと』でもあるとは思うんですけど、そのことにそれほど大きな意味はないというか。そんなふうに今日の瞬間を体験すると、すごく小さく見えてしまうんですよね。その点で、例えばわかりやすい10年200本打ったとか、MVPを獲ったとか、オールスターでどうたらというのは、本当に小さな事に過ぎないというふうに思います」
「今日の舞台に立てたということは、去年の5月以降、ゲームに出られない状況になって。その後にチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録はいずれ誰か抜いていくとは思うんですけど、去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれない。ささやかな誇りを生んだ日々であったと思うんですよね。去年の話だから近いということもあるんですけど、どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います」
ーー「イチメーター」のエイミーさんがいた。ずっと応援してくれたファンの存在は?(テレビ東京・鷲見玲奈アナ)
「ゲーム中にあんなことが起こるとはとても想像していなかったですけど、それが実際に起きて、19年目のシーズンをアメリカで迎えていたんですけど、日本のファンの方の熱量というのはふだん感じることは難しいんですよね。久しぶりに東京ドームに来て、ゲームは基本的に静かに進んでいくんですけど、なんとなく印象として日本人は表現するのが苦手というか。そんな印象があったんですけど、それが完全に覆りましたね。内側にある熱い思いが確実にあるということ、それを表現したという時のその迫力というものが、今まで想像できなかったことです」
「ですから、これは最も特別な瞬間になりますけど、ある時までは自分のためにプレーすることがチームのためになるし、見てくれる人も喜んでくれるかなと思っていたんですけど、ニューヨークに行った後ぐらいからですかね。人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきた。その点で、ファンの方の存在なしには、自分のエネルギーはまったく生まれないと思います。……え、おかしなこと言ってます、僕?大丈夫ですか?」(場内笑)
ーーイチロー選手が貫いたもの、貫けたものとは?(サンケイスポーツ・丹羽政善通信員)
「野球のことを愛したことだと思います。これは変わることはなかったですね。……おかしなこと言ってます、僕?大丈夫?」(場内笑)
ーーケン・グリフィーJr.が肩の力を抜いた時に違う野球が見えて楽しくなるという話をされたんですけど、そういう瞬間はあったのか?(サンケイスポーツ・丹羽政善通信員)
「プロ野球生活の中ですか?」
ーーはい(サンケイスポーツ・丹羽政善通信員)
「ないですね。これはないです」
「ただ、子供の頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶って。最初の2年、18、19の頃は1軍に行ったり来たり…『行ったり来たり』っておかしい?行ったり、行かなかったり?行ったり来たりっていつも行ってるみたいだね。1軍に行ったり、2軍に行ったり。そうか、これが正しいか。(注:正しくは『1軍と2軍を行ったり来たり』)そういう状態でやっている野球はけっこう楽しかったんですよ」
「1994年、3年目ですね。仰木監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいたわけですけども。この年までですね、楽しかったのは。あとはその頃から急激に番付を上げられちゃって、それはしんどかったです。やっぱり力以上の評価をされるというのはとても苦しいですよね。だから、そこからは純粋に楽しいなんていうのは、やりがいがあって達成感を味わうこと、満足感を味わうことはたくさんありました。じゃあ、楽しいかというとそれとは違うんですよね」
「でもそういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球をやりたいなと。これは皮肉なもので、プロ野球選手になりたいという夢が叶った後は、そうじゃない野球をまた夢見ている自分がある時から存在したんですね。でもこれは、中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には待っていないもの。たとえば草野球ですよね。やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しめないのではないかと思うので。これからは、そんな野球をやってみたいなという思いですね…おかしなことを言ってます、僕?大丈夫?」
ーー開幕シリーズを大きなギフトとおっしゃっていました。それが私たちの方が大きなギフトをもらったような気がするんです(日本テレビ・徳島えりかアナ)
「そんなアナウンサーっぽいことを言わないでくださいよ」
ーーイチロー選手は、これからどんなギフトをくださるんでしょうか?(日本テレビ・徳島えりかアナ)
「ないですよ。そんな無茶言わないでくださいよ。でも、これは本当に大きなギフトで、去年、3月の頭にマリナーズからオファーをいただいて、それから今日までの流れがあるんですけれども、あそこで終わってても全然おかしくないですからね。去年の春までで終わっていてもまったくおかしくない状況ですから。今、この状況が信じられないですよ」
「あの時考えていたのは、自分がオフの間、アメリカでプレーするまでに準備をする場所というのは神戸の球場なんですけど、寒い時期に練習するので、へこむんですよね。やっぱ心が折れるんですよ。そんな時もいつも仲間に支えられてやってきたんですけど、最後は今まで自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場で、ひっそりと終わるのかなあと、あの当時想像していたので、夢みたいですよ。こんなの。これも大きなギフトです。質問に答えていないですけど、僕からのギフトはないです」
ーー涙がなく笑顔が多かったというのは、この開幕シリーズが楽しかったということでしょうか?(日本テレビ・徳島えりかアナ)
「純粋に楽しいということではないんですよね。やっぱり、誰かの思いを背負うというのは、それなりに重いことなので。そうやって一打席一打席立つことって簡単ではないですね。だから、すごく疲れました」
「やっぱり一本ヒットを打ちたかったし、応えたいって当然ですよね、それは。僕には感情がないって思っている人いるみたいですけど、あるんですよ。意外とあるんですよ。結果を残して最後を迎えたら一番いいなと思っていたんですけど、それでもあんな風に球場に残ってくれて。まあ、そうしないですけど、死んでもいいという気持ちはこういうことなんだろうなと。死なないですけど。そういう表現をする時ってこういう時なのかなと思います」
ーー常々、最低50歳まで現役ということをいってきたが、日本に戻ってもう1度プロ野球でプレーするという選択肢はなかったのか?(朝日新聞・山下弘展記者)
「なかったですね」
ーーどうしてでしょう?(朝日新聞・山下弘展記者)
「それはここでは言えないなぁ(場内笑)。最低50歳までって本当に思っていたし、それは叶わずで、有言不実行な男になってしまったわけですし。その表現をしてこなかったらここまでできなかったかもなという思いもあります。だから、言葉にすること、難しいかもしれないけど言葉にして表現するというのは、目標に近づく一つの方法ではないかなと思います」
ーー野球に費やしてきた膨大な時間、これからそういう膨大な時間とどういう風に付き合いますか?(共同通信社・小西慶三記者)
「これからの膨大な時間ということですか。それとも、これからの膨大な時間とどう付き合うかということですか」
ーーこれからの膨大な時間をということです(共同通信社・小西慶三記者)
「ちょっと今はわからないですね。ただ、たぶん明日もトレーニングをしていますよ。それは変わらないでしょうね。僕はじっとしていられないから。動き回っているでしょうね。だからゆっくりしたいとか全然ないですよ。全然ない。たぶん動き回ってます」
ーーイチロー選手の生き様でファンの方に伝わっていたらうれしいということはありますか?(フジテレビ・生野陽子アナ)
「生き様というのは僕にはよくわからないですけど、生き方と考えれば、さきほどもお話しましたけれども、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね」
「あくまで測りは自分の中にある。それで自分なりにその測りを使いながら、自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって」
「だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むというか、進むだけではないですね。後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく」
「でも、それが正解とは限らないわけですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。でも、そうやって遠回りをすることでしか本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。そうやって自分なりに重ねてきたことを、今日のゲーム後のファンの方の気持ちですよね。ひょっとしたらそんなところを見ていただいていたのかなと。それはうれしかったです。そうであればうれしいし、そうじゃなくてもうれしいです。あれは」
ーーシンプルに聞きますが、現役選手を終えたら、監督や指導者になったり、タレントになったりしますか?(日刊スポーツ・高原寿夫編集委員)
「あんまりシンプルじゃないですね」(場内笑)
ーーイチロー選手は、何になるんですか。(日刊スポーツ・高原寿夫編集委員)
「何になるんだろうね。そもそもカタカナのイチローってどうなるんですかね。「元カタカナのイチロー」みたいになるんですかね。あれ、どうなんだろ。「元イチロー」って変だよね。いやイチローだし、僕。音が一朗だから。書くときどうなるのかな。どうしよっか。何になる。うーん……でも監督は絶対無理ですよ。絶対がつきますよ。人望がない。本当に。人望がないですよ、僕」
ーーそうでもないと思いますけど(日刊スポーツ・高原寿夫編集委員)
「いやあ、無理ですね。それぐらいの判断能力は備えているので。ただ、どうでしょうね」
「ま、プロの選手、プロの世界というよりも、アマチュアとプロの壁というのが日本は特殊な形で存在しているので。今日をもってどうなんですかね。そういうルールって。どうなんだろうか。今までややこしいじゃないですか」
「たとえば極端に言えば、自分に子供がいたとして、高校生であるとすると、教えられなかったりというルールですよね。そういうのって変な感じじゃないですか。今日をもって元イチローになるので、それは小さな子供なのか、中学生になのか、高校生になのか、大学生になるのかはわからないですけど、そこには興味がありますね」
ーーさきほど引退を決めたのがキャンプの終盤という話がありましたけど、それ以前に引退を考えたことは?(TBSビビット・上路雪江アナ)
「引退というか、クビになるんじゃないかはいつもありましたね。ニューヨークに行ってからは毎日そんな感じです。マイアミもそうでしたけど。ニューヨークってみなさんご存知かどうかわからないですけど、特殊な場所です。マイアミも違った意味で特殊な場所です。毎日そんなメンタリティーで過ごしていたんですね。クビになる時はまさにその時だろうと思っていたので、そんなのしょちゅうありました」
ーー今回、引退を決意した理由とは?(TBSビビット・上路雪江アナ)
「マリナーズ以外に行く気持ちはなかったということは大きい。去年、シアトルに戻していただいて本当にうれしかった。先ほどキャンプ前のオファーがある前の話をしましたけど、その後、5月にゲームに出られなくなる。あの時もタイミングでおかしくないんですよね。でも、この春に向けてまだ可能性があると伝えられていたので、そこも自分なりに頑張ってこられたということだと思うんですけど。質問なんでしたっけ?」
ーー引退を決めた理由は?(TBSビビット・上路雪江アナ)
「そうか。もう答えちゃったね」
ーー今日の試合でベンチに戻る際に菊池雄星選手が号泣していました(TBSビビット・上路雪江アナ)
「号泣中の号泣でした、アイツ。びっくりしました。それ見てこっちは笑けましたけどね」(場内笑)
ーー抱擁された時にどんな会話を?(TBSビビット・上路雪江アナ)
「それはプライベートなんで。それは雄星がそれをお伝えするのはかまわないですけど、僕がお伝えすることではないですね」
ーー秘密ですか?(TBSビビット・上路雪江アナ)
「それはそうでしょう。二人の会話だから。しかも、僕から声をかけているので。それをここで僕がこんなことを言いましたって。バカですよね。絶対に信頼されないもんね。それはダメです」
ーーアメリカのファンへのメッセージを(共同通信社国際局海外部・アレン)
「アメリカのファンの方々は、最初は厳しかったですよ。最初の2001年のキャンプなんかは『日本に帰れ』としょっちゅう言われましたよ」
「だけど、結果を残した後の敬意というのは、これは評価するのかどうかわからないけど、手のひらを返したという言い方もできるので、ただ、言葉ではなくて行動で示したときの敬意の示し方というのは、その迫力はあるなという印象ですね」
「なかなか入れてもらえないんですけど、入れてもらった後、認めてもらった後はすごく近くなるという印象で、がっちり関係ができあがる。シアトルのファンとはそれができた。僕の勝手な印象ですけど」
「ニューヨークというのは厳しいところですよね。でも、やればどのエリアよりも熱い思いがある。マイアミというのは、ラテンの文化が強い印象で、熱(あつ)はそれほどないんですけど、結果を残さなかったら人は絶対に来てくれない。そういう場所でしたね。それぞれの場所で関係を築けたような。特徴がそれぞれありましたけど。アメリカは広いなと。ファンの人たちの特徴を見るだけでアメリカは広いなという印象ですけど」
「でもやっぱり、最後にシアトルのユニフォームを着て、セーフコ・フィールドではなくなってしまいましたけど、姿をお見せできなくて、それは申し訳ない思いがあります」
ーーキャンプなどでユニークなTシャツを着ていたが、何か心情を表していたのか? 全く関係なくただ好きで着ているのか?(BuzzFeed News・吉川慧記者)
「そこは言うと急に野暮ったくなるから、言わない方がいいんだよね。それは観る側の解釈だから。そう捉えれば、そう捉えることもできないし。全然関係ない可能性もあるし。それでいいんじゃないですか」
ーー好きに楽しんでいただきたいと?(BuzzFeed News・吉川慧記者)
「だってそういうものでしょう。いちいち言うと野暮ったいもんね」
ーー言わない方が粋であると?(BuzzFeed News・吉川慧記者)
「粋とは自分では言えないけど。言うと無粋であることは間違いないですよね」
ーー24時間を野球に使ってきたと仰っていますが、それを支えてきたのは弓子夫人だと思いますが、あえて今日は聞かせてください。(TBSメジャーリーグ担当・笹田幸嗣記者)
「いやあ、頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います」
「僕はアメリカで結局3089本のヒットを打ったわけですけど、妻は、ゲーム前にホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって行って食べるんですけど、それの数が2800ぐらいだったんですよね。3000いきたかったみたいですね。そこは3000個握らせてあげたかったなと思います」
「妻もそうですけど、とにかく頑張ってくれました。僕はゆっくりする気はないけど、妻にはゆっくりしてほしいと思います」
「それと一弓ですね。一弓というのはご存知ない方もいらっしゃると思いますけど、我が家の愛犬ですね。柴犬です。現在17歳と何カ月かな。7カ月かな。今年で18歳になろうかという柴犬なんですけど、さすがにおじいちゃんになってきて、毎日フラフラなんですけど、懸命に生きているんですよね。その姿を見ていたら、それは俺がんばらなきゃなと。これはジョークとかではなくて、本当にそう思いました」
「懸命に生きる姿。2001年に生まれて、2002年にシアトルの我が家に来たんですけど、まさか最後まで一緒に、僕が現役を終える時まで一緒に過ごせるとは思っていなかったので、大変感慨深いですよね。一弓の姿は。ほんと、妻と一弓には感謝の思いしかないですね」
ーー3月の終盤に引退を決めたのは、打席内の感覚の変化というのはありましたか?(朝日新聞・ 遠田寛生記者)
「いる?それここで」
ーーぜひ(朝日新聞・ 遠田寛生記者)
「裏で話すわ。裏で」(場内笑)
ーーこれまで数多くの決断と戦ってきたが、今までで一番考えぬいて決断したものは?(日本スポーツ企画出版社・新井裕貴編集者)
「これは順番を付けられないですね。それぞれが一番だと思います」
「ただ、アメリカでプレーするために、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど、自分の思いだけでは叶わないので、当然球団からの了承がないと行けないんですね」
「その時に、誰をこちら側、こちら側っていうと敵・味方みたいでおかしいんですけど。球団にいる誰かを口説かないといけない、説得しないといけない。その時に一番に思い浮かんだのが、仰木監督ですね。その何年か前からアメリカでプレーしたいという思いは伝えていたこともあったんですけど、仰木監督だったらおいしいご飯でお酒を飲ませたら。飲ませたらっていうのはあえて飲ませたらと言ってますけど、これはうまくいくんじゃないかと思ったら、まんまとうまくいって。これがなかったら何も始まらなかったので。口説く相手に仰木監督を選んだのは大きかったなと思いますね」
「ダメだダメだとおっしゃっていたものが、お酒でこんなに変わるんだと思って。お酒の力をまざまざと見ましたし。やっぱり洒落た人だったなと思いますね。仰木監督から学んだものは計り知れないと思います」
ーー昨日の試合は第1回WBCで日本が優勝した日と同じだったが、それは運命的なものがあったりするのか?(日本スポーツ企画出版社・新井裕貴編集者)
「聞かされればそう思うこともできるという程度ですかね」
ーー一番我慢したものは?(日本テレビ・辻岡義堂アナ)
「難しい質問だなあ。僕、我慢できない人なんですよ。楽なこと、楽なことを重ねているという感じなんですよね。自分ができることを、やりたいことを重ねているので我慢の感覚がないんですけど、とにかく体を動かしたくてしょうがないので、こんなに動かしちゃダメだっていうことで、体を動かすことを我慢するというのはたくさんはありました。それ以外はストレスがないように行動してきたつもりなので」
「家では妻が料理をいろいろ考えて作ってくれますけど、ロードは何でもいいわけですよね。むちゃくちゃですよ。ロードの食生活なんて。結局我慢できないからそうなっちゃうんですけど、そんな感じなんです。今聞かれたような主旨の我慢は、思い当たらないですね。おかしなこと言ってます、僕?
ーー台湾にはイチローさんのファンがいっぱい。台湾に行きたいということはありますか?(台湾・中央通信社記者)
「チェンが元気か知りたいですね。チェン、チームメイトでしたから。元気でやってますか。それは何よりです」
「今のところ(台湾に行く)予定はないんですけれども、以前に行ったことあるんですよ。一度。とても優しい印象でしたね。心が優しくていいなと思いました。ありがとうございます」
ーー菊池投手が同じマリナーズに入って、去年は大谷選手がエンゼルスに入った。後輩たちに託すことは?(夕刊フジ・片岡将記者)
「雄星のデビューの日に僕は引退を迎えたというのは、何かいいなと思っていて。『ちゃんとやれよ』という思いですね」
「短い時間でしたけどすごくいい子で。いろんな選手を見てきたんですけど、左投手の先発って変わっている子が多いんですよ。本当に(場内笑)。天才肌が多いとも言える。アメリカでもまあ多い。こんなにいい子いるのかなって感じですよ、今日まで」
「でも、キャンプ地から日本に飛行機で移動してくるわけですけど、チームはドレスコードで服装のルールが、黒のジャージのセットアップでOK、長旅なのでできるだけ楽にという配慮なんですけど。『雄星、俺たちどうする?』って。アリゾナはいいんだけども、日本に着いたときにさすがにジャージはだめだろうって二人で話をしていたんですね。『そうですよね、イチローさんはどうするんですか?』って。僕はまぁ、中はTシャツだけどセットアップでいちおうジャケットを着ているようにしようかなと。『じゃあ僕もそうします』って言うんですよ」
「で、キャンプ地を起つ時のバスの中で、みんなも僕も黒のジャージのセットアップでバスに乗り込んできて。それで雄星と席が近かったので、『雄星、やっぱりこれダメだよな。日本に着いた時にメジャーリーガー、これダメだろ?』ってバスの中でも言ってたんですよ。『そうですよね』って。そう言ってたら、まさか羽田着いた時にアイツ、ジャージでしたからね(笑)。イヤ、こいつ大物だなって。ぶったまげました」
「本人にまだ聞いてないですけど、その真相は。何があったのかわからないですけど。やっぱり左投手は変わったヤツが多いなと思いました。スケール感は出てました。頑張ってほしいです」
「翔平はちゃんとケガを治して、物理的にも大きいわけですし。アメリカの選手とまったくサイズ的にも劣らない。しかもあのサイズであの機敏な動きができるというのはいないですからね。それだけで。世界一の選手にならなきゃいけないですよ」
ーー引退おめでとうございます。野球への愛を貫いてきたというお話でしたけど、イチロー選手が感じている野球の魅力遠いうのはどんなところでしょうか?それと、イチロー選手が引退して悲しんでいる方々がこれから今年以降、イチロー選手が出ない野球を楽しむ上で、メジャーリーグとかプロ野球とか、どんなところを楽しめばいいでしょうか?教えてください(J SPORTS・節丸裕一アナ)
「ん?最初なんでしたっけ?」
ーー愛を貫いてき野球の魅力です(J SPORTS・節丸裕一アナ)
「あぁ、野球の魅力ね。うん。…団体競技なんですけど、個人競技というところですかね。これが野球の面白いところだと思います。チームが勝てばそれでいいかというと、全然そんなことはないですよね。個人としての結果を残さないと、生きていくことはできないですよね」
「本来はチームとして勝っていればいいかというと、チームとしてのクオリティは高いのでそれでいいかというと、決してそうではない。その厳しさが面白いところかなと。面白いというか、魅力であることは間違いないですね。あとは同じ瞬間がない。必ずどの瞬間も違うということ。これは飽きがこないですよね」
「二つ目はどうやって楽しんだらいいかですか。2001年にアメリカに来てから2019年現在の野球は、まったく違うものになりました。頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような。選手も現場にいる人たちもみんな感じていることだと思うんですけど、これがどう変化していくか。次の5年、10年、しばらくはこの流れは止まらないと思いますけど」
「本来は野球というのは……、ダメだな、これを言うと問題になりそうだな(場内笑)。うーん。頭使わないとできない競技なんですよ、本来は。でもそうじゃなくなってきているというのがどうも気持ち悪くて。ベースボール、野球の発祥はアメリカですから、その野球が現状そうなってきているということに危機感を持っている人っていうのがけっこういると思うんですよね」
「だから、日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんてまったくなくて、日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいなと思います。アメリカのこの流れは止まらないので。せめて日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなければいけないことを大切にしてほしいなと思います」
ーー19年間の現役、お疲れ様でした。3089本のヒットを打たれたメジャーリーグの試合、今日まで2653試合プレーされてらっしゃいました。偶然だと思うんですけども、一番最初のゲーム、セーフコでのオークランド・アスレチックス戦でした。今日も何かの縁か分かんないですけどアスレチックス戦でした。最初バートロ・コロンと対戦した時に三打席打ち取られて、四打席目にセンター前に鮮やかな一本目のヒット、抜けていったことを…(週刊SPA・小島克典記者)
「ん?誰って言いました?コロン?コロンはインディアンスですよ、その当時。ハドソンです」
ーーハドソンですね、ティム・ハドソンでしたね、失礼しました。えー、ティムのボールを…ティム・ハドソンから打ち取られて、四打席目最初のヒットがセンター前に抜けて行きました(週刊SPA・小島克典記者)
「はい」
ーー今日、最後の試合、結果的になりましたけれども、最初の三度は凡退で四度目のネクストサークルの時に、ひょっとしたらオープニングゲームのことが頭によぎったんじゃないかな、なんてことを見てる私は勝手に想像したんですけれども何か、1年目のゲームとか、オープニングゲームのこととか思い出したこととかあったでしょうか(週刊SPA・小島克典記者)
「まぁあの、長い質問に対して大変失礼なんですけど、ないですね」
ーー子供の頃からの夢であるプロ野球選手になるという夢を叶えて、今、何を得たと思いますか?(文化放送・斉藤一美アナ)
「成功かどうかってよくわからないですよね。じゃあどこから成功で、そうじゃないのかって、まったく僕には判断できない。だから成功という言葉は嫌いなんですけど」
「メジャーリーグに挑戦するということは、大変な勇気だと思うんですけど、でも成功、ここではあえて成功と表現しますけど、成功すると思うからやってみたい。それができないと思うから行かないという判断基準では、後悔を生むだろうなと思います。できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。その時にどんな結果が出ようとも後悔はないと思うんですよね」
「じゃあ、自分なりの成功を勝ち取ったところで達成感があるのかというと、それは僕には疑問なので。基本的には、やりたいと思ったことをやっていきたいですよね。…え、何を?」
ーー何を得たか?(文化放送・斉藤一美アナ)
「…『こんなものかなぁ…』という感覚ですかね。それは200本はもっと打ちたかったし、できると思ったし、1年目にチームは116勝して、その次の2年間も93勝して、勝つのってそんなに難しいことじゃないなってその3年は思ってたんですけど、大変なことです。勝利するというのは。この感覚を得たことは大きいかもしれないですね」
ーーユニフォームを脱ぐことで神戸に恩返しをしたいという気持ちは?(夕刊フジ・山戸英州記者)
「神戸は特別な街です、僕にとって。恩返しか。恩返しって何をすることなんですかね。僕は選手として続けることでしかそれはできないんじゃないかなと考えていたこともあって、できるだけ長く現役を続けていきたいと思っていたこともあるんですね」
「神戸に恩返し、うーん……。税金を少しでも払えるように頑張ります」(場内笑)
ーーご自身の経験を振り返って、もっとこんな制度であればメジャーに挑戦したかった、あるいは日本のプロ野球に残ったということは?(HUFFPOST日本版・田中志乃記者)
「制度に関しては詳しくないんですけど、日本で基礎を作る。自分が将来MLBで将来活躍するための礎を作るという考え方であれば、できるだけ早くというのはわかりますけど、日本の野球で鍛えられることはたくさんあるんですね。だから、制度だけに目を向けるのはフェアじゃないかなと思いますけどね」
ーー日本の野球で鍛えられたことは?(HUFFPOST日本版・田中志乃記者)
「基本的な基礎の動きって、おそらくメジャーリーグの選手より中学生レベルの選手の方がうまい可能性がありますよ。チームとしての連携もあるじゃないですか。そんなの言わなくてもできますからね、日本の野球では。でもこちらではなかなかそこは。個人としてのポテンシャル、運動能力は高いですけど、そこにはかなり苦しみましたよ。苦しんであきらめましたよ」
ーー個人的にエンゼルスの大谷翔平選手との対戦をすごい楽しみにしていたんですが、それが叶わなくなったということで、イチローさんご本人としてはやはり今も大谷投手と対戦してみたかったという思いはありますでしょうか?あと、大谷選手のメジャーリーガーとしての今後に期待することがあれば一言お伺いしたいのですが。(TVAテレビ・やまじな氏)
「さきほどもお伝えしましたけど、世界一の選手にならなきゃいけない選手ですよ。そう考えています」
「翔平との対戦、残念でしたけど、できれば僕が投手で翔平が打者でやりたかったんですよ。それは誤解なきよう」(場内笑)
ーー大谷選手は今後、どのようなメジャーリーガーになっていくと思いますか?(TVAテレビ・やまじな氏)
「なっていくかどうか…そこは占い師に聞いてもらわないとわからないけどねぇ。投げることも打つこともやるのであれば、僕は1シーズンごとに投手、次のシーズンは打者としてサイ・ヤング(賞)と本塁打王をとったら。そんなことなんて、考えることすらできないですよ」
「でも、翔平はその想像をさせるじゃないですか、他人に。この時点で明らかに他人とは明らかに違う選手だと思う。その二刀流は面白いと思うんですよね。なんか、納得いってない表情ですけど。ピッチャーとして20勝するシーズンがあって、その翌年に50本打ってMVP取ったら化け物ですよね。でも、それが想像できなくはないですからね。そんな風に思ってますよ」
ーーあるアスリートの方に伺ったのですが、その方が「自分が現役選手じゃなくなったことを想像するとイヤだ」とイチローさんに仰って、イチローさんが「自分も同じだ」と「自分も野球選手じゃなくなった自分を想像できない。イヤだ」と仰ったと聞きました…(毎日新聞社・岸本悠記者)
「いや、僕『イヤだ』って言わないと思いますけどね。『野球選手じゃない僕を想像するのがイヤだ』とは多分言ってないと思いますよ」
ーーじゃあ改めて、野球選手ではない自分っていうのを今想像していかがですか?(毎日新聞社・岸本悠記者)
「いや、だから違う野球選手に多分なってますよ、うん…(空気を変えようと)…あれ?この話さっきしましたよね。おなか減ってきて集中力が切れてきちゃって。さっき何を話したか記憶が…あれ?さっき草野球の話をしましたよね?しましたよね?だから、そっちでいずれ、楽しくてやっていると思うんですけど、そうするときっと草野球を極めたいと思うんでしょうね。真剣に草野球を極める野球選手になっているんじゃないですか。結局…聞いてます?」
(司会)時間も迫ってきました。
「おなか減ってきた!結構やってないですか。え?今、時間どれくらい?(1時15分です)1時間20分?あら〜、いやもう今日はとことん付き合おうと思ったんですけどね。おなか減ってきちゃった」(場内笑)
(司会)それでは、あとお二人とさせていただきます。
ーープロ野球人生を振り返って、一番誇れること、普段そういうことを語るのは好きではないと思うんですけど、敢えてこの場でお聞きしたいのですが…誇れること、なんですか?(デイリースポーツ・小林信行記者)
「これ…さきほど…お話しましたよねぇ(苦笑)小林くんも集中力ちょっと切れてるんじゃないの?完全にその話をしたよねぇ」
ーーすみません…(デイリースポーツ・小林信行記者)
「ほら〜それで1問減ってしまうんだから」(場内笑)
ーーあぁ(涙声)わかりました…(デイリースポーツ・小林信行記者)
ーーイチロー選手の小学校の卒業文集が有名だと思います。「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです」という言葉から始まると思います。それを書いた当時の自分に、いま今日この日を迎えたイチロー選手はどんな言葉をかけたいですか?(日本テレビ・伊藤大海アナ)
「『いやお前、契約金で1億ももらえないよ』って(場内笑)。夢は大きくとは言いますけど、なかなか難しいですよ。ドラ1の1億って掲げてましたけど、全然遠く及ばなかったですから。ある意味では挫折ですよね。それは」
「こんな終わり方でいいのかな?」(場内爆笑)
「なんか、最後はキュッとしたいよね」
(司会)では、最後の質問を。
ーー昨年、マリナーズに戻られましたけれども、その前のマリナーズ時代、何度か「自分は孤独を感じながらプレーをしている」ということを仰っていましたけれども、ヤンキースに移られ、それからマーリンズに移られ、プレーする役割というのも変わっていきました。それから去年ああいう状態があって今年引退ということになったんですけど、その孤独感はずっと感じながらプレーしていたんでしょうか?それとも、前の孤独感とは違ったものがあった?その辺はどうでしょうか?(Full Count・木崎英夫記者)
「現在はそれはまったくないです。今日の段階でまったくないです」
「それとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと、アメリカでは僕は外国人ですから。このことは、外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので」
「孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気な時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要なことなのではないかと感じています」
「…しまったね、最後」(場内笑)
「いやぁ、長い時間ありがとうございました。眠いでしょう、みなさんも。じゃあ、そろそろ帰りますか。ねっ」
(司会)以上をもちまして、イチロー選手の記者会見を終了させていただきます。イチロー選手をどうぞ拍手でお送りください。
(場内大きな拍手)
「ありがとうございました!皆さんもお疲れさまでした!」
動画
NHKスペシャル『イチロー 最後の闘い』
3月21日、東京ドームでのMLB開幕シリーズを最後に、現役引退を決めたイチロー。その決断までの半年間、NHKだけに独占密着取材を許した。取材の中で見えてきたのは、大胆にバッティングフォームを改造するなど、最後まで挑戦を続ける求道者としての姿だった。前人未踏の10年連続200本安打やメジャー通算3000本安打など、数々の偉業を成し遂げてきたイチローだが、その実績以上に、常に理想を追求し、努力を積み上げていく“生き様”に、多くの人々は共感してきた。今回カメラは、神戸の自主トレ、アリゾナキャンプ、東京での開幕戦まで密着。そしてシアトルの自宅で、イチローは胸に秘めた覚悟を語った。稀代のアスリートの最後の挑戦の日々を描く。
放送日
2019年3月31日(日) 21時00分~21時49分
KJインプレッションズ
45歳、現役引退
とうとうこの日が来てしまった。
28年間の現役生活で積み上げた安打の数は実に4367本。日米で記録と記憶に刻まれる華麗なプレーでファンを魅了し続けた不世出のスーパースター、イチロー選手のラストダンス。長年に渡って応援することができ、そして現役引退を見届けられたのは幸せなことだ。
初めて彼を意識したのは1994年。佐藤和弘が登録名を愛称の「パンチ」に変更する際、自身の登録名も「イチロー」に変更した年だ。最初はそうした登録名や「振り子打法」や「200本安打」と言った話題性に引っ張られていた。しかし、様々なメディアに登場しては気さくに話す中に垣間見えたトップアスリート特有の哲学を感じさせる言葉に、どんどん興味を惹かれるようになっていった。
それ以降、ドラゴンクエストとマイケル・ジョーダンが大好きで、ボクサー辰吉丈一郎と深い親交があることを知り、自分にとってはもうそれだけのピースが揃っていれば、親近感を感じるのに十分過ぎる存在だった。特にイチロー選手のライフスタイルに興味を持つことがなければ、ヒップホップを聴くことも無かったように思う。そうすると「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」を聴くことも無かったかもしれない…と思うと、イチロー選手から受けた影響は計り知れないものがある。
かつてのアンチヒーロー
イチロー選手のプレーについては、野球素人の自分が今さらどうこう言うまでもないだろうし、それを振り返るとなれば、きっと何万文字も必要になる。そして何より、自分にはその凄さを正確に伝えられる言葉を持ち合わせていない。だから、プレーについてあまり多くを語るつもりはない。
ただ、敢えて書くならば「アンチヒーローの記憶」についてだ。オリックス・ブルーウェーブ時代のイチロー選手は、保守的なプロ野球関係者やメディア、そしてプロ野球ファンから、現在では考えられないような扱いを受けていたことを今でもよく覚えている。新時代のスター候補を受け容れられない人々が、まだまだ沢山いた時代があったのだ。”栄光の巨人軍”に所属する正統派ヒーロー松井秀喜選手に対する、アンチヒーローのような位置付けである。
初のシーズン200本安打を達成した時でさえも「所詮はパ・リーグだから」というような評価のされ方は普通に聞かれたし、一方ではシーズン終盤に記録樹立を阻止するため、四死球が相次いだことは周知の通りだ。週刊誌でも「テレビで見せる爽やかさの裏に隠された本当の顔」的な見出しが躍った。「イチローなんかに記録を更新させるな!」という嫌がらせや「イチローは凄いけど嫌なヤツだ」というレッテル貼りが公然と行われていた時代があったのだ。
悪い過去は忘れてもいいのかもしれない。けれども、そんな時代や声があって、イチロー選手自身の努力によって結果を残し、見返し、覆してきたということは、イチロー選手を語る上で決して忘れてはならないことのように思えるのだ。
イチローと松井秀喜と
そして何よりも未だに存在する「イチロー派」「松井派」というくだらないイデオロギーである。平成における日本球界の偉大なバッターと言えば、確かにイチロー選手と松井秀喜選手の2人が群を抜いているし、彼らが人気を2分するのも理解できる。ただ、何故そこで比較し、優劣を付けようとするのかが全く理解できない。
当時、熱烈な巨人ファンだった自分は、松井選手のこともイチロー選手と同じくらい応援していた。テレビ中継があった点で、熱狂し声援を送る機会はむしろ松井選手の方が多かった。しかし、それはイチロー選手と同様、ホームランを含むプレー以上に、彼が発する言葉による部分が大きかった。そんな立場から見ていて、両者のファンが繰り広げる見当違いの不毛な比較論といったら目も当てられなかった。
イチロー選手と松井選手は、プレースタイルと同様に、容姿も性格も対照的に見えることは確かだ。けれども、野球人としての哲学には通底するものが確実に存在していると思うし、そう感じている自分にとってイチロー選手と松井選手はむしろ「似ている」存在だと感じている。きっと、高校時代から交流があり、寝食を共にしたこともある2人には、お互いに影響を与えた多くの会話があったのではないだろうかと想像する。
おそらく、その中でもより多くの影響を与えたのはイチロー選手の方だろう。それは引退会見におけるイチロー選手の言葉からも感じられた。初開催となるワールドベースボールクラシック(WBC)の際、イチロー選手と松井選手の歩みは分かれた。イチロー選手は出場して世界一に輝き、松井選手はややもすれば「非国民」かのような批判さえ浴びた。松井選手の決断が国民を敵に回す形になったのは、後にも先にもこの時だけだろう。
同じメジャーリーガーとして、リスクを承知で参加を決めたイチロー選手の判断基準は「できるかできないか」ではなく「やりたいかやりたくないか」だったのだろう。その決断は賞賛されるべきものだろう。松井選手は「できるかできないか」を判断基準とし、チームの方針を優先させたとされる。しかし、決して松井選手が非難されるようなことではない。むしろ、プロフェッショナルとして妥当な判断だ。
イチロー選手達が日の丸を掲げる光景を見て一番悔しくて残念だったのは松井選手だろうし、そんな松井選手の判断を一番寂しく感じたのはイチロー選手だったのではないかと思う。
ただ、イチロー選手自身がヤンキースへ移籍して、”エリートチームのスーパースター集団”の中に身を置いた時、初めてこれまでの松井選手の立場や心情を身に染みて理解できる環境になった。「いつクビになってもおかしくない」というメンタリティーになるという、かつてない重圧がそこにはあった。そうした中で、常にチームの中心にあり続けた松井選手の凄みを感じ、イチロー選手も松井選手への尊敬を新たにしたのではないだろうか。
「水と油」かのように言われるイチロー選手と松井選手だが、自分には「硬水と軟水」もしくは「菜種油とオリーブオイル」くらいの違いしか感じないし、そうあって欲しいという気持ちが強い。松井選手の名前は全く出なかったが、そんなことを想いながら見守った引退会見だった。
ユニフォームを脱いだイチロー選手と松井選手の会話を聞けるであろうこれからが本当に楽しみである。是非そう遠くない将来、たっぷり対談して語り尽くして欲しい。
感謝しかない
イチロー選手には長きに渡って本当に野球を楽しませてもらった。怪我で休養する期間さえほとんど無く、シーズンを通して打撃に守備に目覚ましい活躍を続けてくれた。それも、最高峰の舞台で、だ。全てのメジャースポーツでこれほどのアスリートが、かつて存在しただろうか?自分の知る限り、イチロー選手だけだ。
ナンバーワンにしてオンリーワン。
まさにワンアンドオンリー。
それがイチローという選手だ。
とうとうこの日は来た。それは変わらない。
けれども、きっとイチロー選手が現役を引退するのは「プロ野球選手」としてであって、生涯どこかでプレーを続けることだろう。もしもその姿をいつまでも目にすることができたなら、どんなに幸せなことだろうか。
もちろん、指導者として後輩や子供達に、イチロー選手の持つ技術や哲学を伝授して欲しい気持ちもある。そうした「周囲の要請」に応えてくれるかどうかはわからない。ただ、野球道を突き詰めていくと「監督」「指導」といった領域に踏み入れる必要性も出てくるだろうし、その時はイチロー選手自らイチロー監督になることを望むのではないか?
とは言え、どれだけ言葉を尽くすよりもイチロー選手自身がプレーを続けることの方が「伝わる」ものは多いような気もしているのだが。
イチロー選手がどんな道を選んでも、ファンはその姿を追い続けるだけだ。
まさに地球人である前に、野球人。
これからも野球の求道者であり続けることだろう。
イチロー選手には、感謝しかない。
本当にありがとう。
心からそう伝えたい。
心の中には、イチロー選手のこれからに対するあらゆる期待がある。きっと世界中のファンが同じだろう。けれども、そんなことは何も気にしなくていい。何をしても、全てのファンが興味津々になることは間違いない。
これからも、イチロー選手が「やってみたい」全てのことに挑戦して欲しい。
それがイチファンのささやかな望みだ。そして、それがイチファンの最大の楽しみだ。
ピッチャーとしてNPBのプロテストを受験しに現れたりしたら、最高なのだが(笑)
試合後の深夜23時56分から始まった引退発表記者会見では、28年間の現役生活を振り返るとともに、イチロー選手ならではの深みのある哲学的な言葉やユーモアが飛び出しました。
この記事では、イチロー選手に最大の敬愛の念を込めて引退会見の全容を文字起こししました。
ありがとう!イチロー選手!