未来の日本人初女性F1ドライバーJujuこと野田樹潤(のだじゅじゅ)選手!弱冠12歳の小学生プロレーシングドライバー!


今、モータースポーツ界のみならず世界中のメディアから高い注目を集める日本初の小学生プロレーシングドライバー、Jujuこと野田樹潤選手を紹介します。

プロレーシングドライバーJuju / 野田樹潤

プロフィール

生年月日:2006年2月2日
年齢:12歳(中学1年生)
出身:東京都
在住:岡山県美作市
家族構成:父(野田英樹・元F1ドライバー)母姉弟の5人家族
ペット:犬8匹 猫3匹 ウサギ8羽 ハムスター2匹
好きな言葉:負けても負けてもあきらめない!
好きなもの:動物 演劇 料理

経歴

3歳でカートに乗り始め、4歳でカートレースデビュー。父・野田英樹(元F1レーサー)の下、5歳でプロレーシングドライバーになることを決意。その後も各レースに出場し、最年少での優勝を次々と果たしていく。2017年3月コースレコードを0.9秒上回る記録を出し、4月のU17のデビュー戦では、11歳ながら240km/hを出すF4プロレーシングドライバーとして優勝。最年少F4ドライバーとして鈴鹿サーキットの走行も果たす。2018年からF3への挑戦が始まる。

受賞歴

4歳:デビューウィン(KIDS カート)
5歳:ダブルチャンピオン(30cc、40cc)
6歳:優勝3回(カデット)
7歳:優勝3回(100cc)
8歳:優勝4回(125cc)
9歳:世界最年少、FIA-F4デビュー
10歳:国際クラスFIA-F4マシンでコースレコード(岡山国際サーキット)に0.7秒まで迫るタイムを記録
11歳:優勝3回 フォーミュラ戦U17チャレンジカップ(最大3台出走の模擬レース)

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ミキハウス

父・野田英樹(元F1ドライバー)


生年月日:1969年3月7日
出身地:大阪府豊中市
在住:東京都港区
血液型:O型
学歴:履正社高等学校卒業

レース戦績

1982:カート・レースにデビュー、関西カート・ランド・シリーズ J クラスチャンピオン獲得。
1983:全日本ナショナルA-1 クラス・チャンピオン獲得(カート)。
1985:全日本 A-1 クラス西地区チャンピオン獲得(カート)。
1986:全日本 A-2 クラス・チャンピオン獲得(カート)。
1987:自動車免許取得と同時にフォーミュラ・レースにデビュー。FJ-1600クラス15戦に参加。ポールポジション9回、ラップレコード3回、優勝4回、新人賞受賞。
1988:全日本F3選手権に参戦。2位1回、3位1回、非公式ラップレコード1回。マカオの国際F3レースに参加。1レグ:8位、2レグ:メカニカル・トラブルにより出走できず。F1日本GPのサポートレースで2位入賞。
1989:中嶋悟氏の援助によって渡欧し、フォーミュラ・ヴォクソール・ロータス・ヨーロッパ選手権に参戦。ポールポジション2回、ラップレコード3回、優勝1回、入賞7回、選手権5位。JMSアワードを受賞。
1990:アラン・ドッキング・レーシングよりイギリスF3選手権に参戦。入賞4回、選手権14位。
1991:ナンバー1ドライバーとして、アラン・ドッキング・レーシングよりイギリスF3選手権に参戦。優勝1回、選手権7位。エイボン・ファーステスト・ラップ・アワードを受賞。日本国外のシングル・シーター国際レースで優勝した初の日本人となる。
1992:チーム3001より国際F3000選手権にフル参戦。同選手権にフル参戦した初の日本人ドライバーとなる。
1993:チーム・トムスより国際F3000選手権にフル参戦。全日本F3000選手権にも終盤2戦に出場。
1994:フォルティ・コルセより国際F3000選手権にフル参戦。3位1回、5位1回、選手権9位。国際F3000選手権において表彰台に立った初の日本人ドライバーとなる。ラルースよりF1デビュー。ヨーロッパGP以降の3レースにスポット参戦。
1995:シムテックよりF1にフル参戦する契約を結んだが、阪神淡路大震災の被害を受けたスポンサーが撤退したため、序盤戦はドメニコ・スキャッタレーラにシートを譲り、第6戦カナダGPから参戦する契約を結ぶこととなった。スポンサー・フィーは払い込んだものの、そのシムテックが資金難のために第5戦モナコGPを最後に撤退するという事態に陥る。パシフィックGPと日本GPには古巣フォルティコルセからスポット参戦が決まっていたが、スーパーライセンスが発給されず直前になって断念。
1996:アメリカに活動拠点を移し、インディ・リージェンシー・レーシングよりインディ・ライツ・チャンピオンシップにフル参戦。トロントで開催された第9戦で3位に入賞し、インディ・ライツ・チャンピオンシップにおいて表彰台に立った初の日本人となる。
1997:インディ・リージェンシー・レーシングよりインディ・ライツ・チャンピオンシップにフル参戦。ポートランドで開催された第8戦で優勝し、インディ・ライツ・チャンピオンシップにおいて優勝した初の日本人となる。選手権9位。
1998:チームセルモより全日本選手権フォーミュラ・ニッポン、全日本GT選手権にフル参戦。菅生で開催されたフォーミュラ・ニッポン第6戦で3位入賞。第8戦でポールポジション獲得。ファーステストラップ1回。同じく菅生で開催された全日本GT選手権第7戦で3位入賞。
1999:全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに星野一義率いるビブライズ・インパルより、全日本 GT 選手権にトヨタワークスのチーム・ルマンより参戦。全日本GT選手権第5戦(富士)で総合優勝。ポールポジション1回、ファーステストラップ2回。全日本選手権フォーミュラ・ニッポン第8戦で2位入賞。ファーステストラップ1回。
2000:チーム・ルマンより全日本選手権フォーミュラ・ニッポンにフル参戦。第3戦で3位、第5戦で2位、第7戦で5位、第8戦で6位、ファーステストラップ1回。シリーズランキング5位。トヨタワークスのチーム・ルマンより全日本GT選手権にフル参戦。第1・2・3・5・6 戦に入賞。シリーズランキング6位。
2001:ドコモ・チーム・ダンディライアンより全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに全戦参戦。トヨタワークスのチーム・ルマンより全日本GT選手権に全戦参戦。第2戦富士、セパンラウンドで優勝。第4戦富士で3位、第3戦菅生では5位入賞。
2002:アメリカ最高峰フォーミュラカーレースIRLに開幕からの3戦をコンバージェント・レーシング、後半3戦をインディリージェンシーレーシングより参戦。第2戦フェニックスで10位入賞。
2003:自らのチーム「Team MOHN」を立ち上げ、全日本選手権フォーミュラ・ニッポンにフル参戦。第1戦で6位入賞。
2004:全日本選手権フォーミュラ・ニッポンフル参戦。
2005:全日本選手権フォーミュラ・ニッポンフル参戦。
2006:全日本スポーツカー耐久選手権にフル参戦。
2007:全日本スポーツカー耐久選手権にフル参戦、シリーズチャンピオンに輝く。
2008:ル・マン24時間レースに出場。
2010:ル・マン24時間で完走を果たし29年の現役活動から引退。
2013:NODAレーシングアカデミー開校。F1、インディ、ル・マン、GT、フォーミュラニッポンをはじめ数々のトップカテゴリーから世界各国の登竜門レースまで、これまで経験してきたことのすべてを自ら生徒に指導。

F3マシンデビュー


2017年12月21日、岡山国際サーキットにてF3マシンによる初の本格走行を実施。
マシンはフォルクスワーゲン製エンジンを搭載する旧型のダラーラF312で、来季のNクラス車両と同一の仕様。1時間半の走行で、ロングランを交えながら44周を走り込み、ベストタイムは1分28秒5を記録。このタイムは同年5月に開催された全日本F3選手権Nクラスの予選最速タイムから約2.2秒落ち。そもそものフォーミュラカー経験の浅さと小柄な上に華奢過ぎて十分に安定しないシートポジションを考慮すれば、上々の出だしと言えるだろう。

日本でFIA-F4やF3の公式レースに出走するには、16歳という年齢制限とカートレースでの実績が必要となる。その為、今後はF3とF4のマシンで練習走行を重ねながら、より早く出走可能な海外のレースに活路を求める。

KJインプレッション

世界的に稀有な存在

女子小学生プロレーシングドライバー。凄まじいインパクトを与える肩書きである。
Jujuこと野田樹潤(のだじゅじゅ)、弱冠12歳。
彼女は小さな身体でFIA-F4のジュニアフォーミュラカーを操っている。しかも速い。

2017年に自身4度目のワールドチャンピオンに輝いたルイス・ハミルトン選手やF1最年少優勝の記録を持つマックス・フェルスタッペン選手でさえ、カートからジュニアフォーミュラにステップアップしたのは16歳の時である。それだけでも、彼女のやっていることがいかに凄いことか理解されることだろう。

素直に、凄い可能性を秘めた原石だと思う。

そもそも、これまでのモータースポーツ界では世界を見渡してみても「小学生をジュニアフォーミュラに乗せる」という発想そのものが無かった筈だ。これまでは、まずレーシングカートでキッズ、地域、全日本、世界選手権とステップアップし、それらで素晴らしい実績を残した者がジュニアフォーミュラへステップアップするというのが定石だった。

しかし、彼女はそうした常識を覆して、レーシングドライバーとして成長を続けている。

父・野田英樹の手腕

真に賞賛されるべきは父・野田英樹氏の手腕である。
KJにとって氏は「悲運のレーサー」という印象が強い。「元F1ドライバー」には違いないが、レース出走は僅か3戦のスポット参戦。氏のF1挑戦は常に「契約したチームの財政難」や「自身の持込み資金」の問題が付き纏い、遂にレギュラーシート獲得は叶わなかった。

失意の中でヨーロッパからアメリカへと海を渡り、今は佐藤琢磨選手が活躍するアメリカ大陸の最高峰「インディカー」の直下カテゴリー「インディライツ」に挑戦し、勝利を含む好成績を残すも、やはり資金不足の壁に阻まれてインディカーへのステップアップは成らなかった。大変な苦労人なのである。

そうした自身の経験があるからこそ、同じレーサーの道を志す愛娘には、同じ苦労を味わせたくないのだろう。

まずは地道に実力と経験を蓄えつつ、その話題性で世間の注目を惹きつけて、有力な企業からの支援を得る。どこかで聞いたような話ではないか?そう、現時点におけるJujuこと野田樹潤選手の実績は、純粋に評価するとボクシング界におけるデビュー前後の亀田興毅氏と同じ類のものであると言わざるをえない。素晴らしい実力があるのかもしれないが、適切に比較する対象が無いのである。

ここまでの経歴や話題は、野田英樹氏を含む大人のプロデュース力によるところが大きい。このことは頭に入れておいた方が良い。それを踏まえた上で、Jujuこと野田樹潤選手の可能性に言及するべきだろう。

目標とするF1への道程

では、Jujuこと野田樹潤選手が将来、F1にステップアップできる可能性はあるのだろうか?
現時点で確実に言えることは、彼女に限らず世界中のレーシングドライバーにとって、F1にステップアップする為に越えなければならないハードルは、極めて高いということだ。

まずは女性であるが故の身体能力的なハンディキャップである。レーシングドライバーは、ともすれば「クルマを運転しているだけ」と考えられがちで、アスリートとしての身体能力の高さが脚光を浴びることは少ない。しかし、ハイスピードでクルマを運転する際には身体に強烈な負荷がかかり、レーシングドライバーには筋力、筋持久力に加えて三半規管や内臓に至るまで、凄まじい身体能力が要求されるのである。

おそらく父・野田英樹氏がJujuこと野田樹潤選手にカートで実績を積み上げるよりもジュニアフォーミュラを経験させることを優先した理由の一つは、身体的成長が男性よりも早いであろうことを考慮して、少しでも早くからビッグパワーのレーシングカーに慣れさせることで成長の限界値を高めようとしたのだと考えられる。既にFIA-F4さえ卒業し、14歳から海外のF3へ出場することを視野にF3車両での練習走行も始めている。もしもこれが功を奏したならば、女性ドライバー特有のハンディキャップを埋めることができるかもしれない。

また、かつては莫大な資金をチームに持ち込むことと引き換えにレギュラーシートを獲得する「ペイ・ドライバー」と揶揄されるドライバーがいた。野田氏を含めて、これまでF1に参戦した日本人ドライバーのうち、真に実力を評価されてレギュラーシートを獲得できたのは、小林可夢偉選手だけかもしれない。彼以外の日本人ドライバーは、大なり小なり「ペイ・ドライバー」と見做されていた。

ならば「ペイ・ドライバー」と呼ばれることを覚悟の上で、「日本人初の女性F1ドライバーになれるかも」という話題性を武器に大口のスポンサー契約をまとめ上げれば、これまでの日本人ドライバーと同様にF1へのステップアップを果たすことは可能なのだろうか?

残念ながら「これまで通りでは難しい」と言わざるをえない。現在のF1は競技レベルを維持するために、F1で出走する資格(スーパーライセンス)を発効する際に、下位カテゴリーでの実績を評価し重視する制度を構築した。

現在、日本のホンダがF1に参戦しているが、日本人F1ドライバーは不在のままである。以前であれば日本でのF1人気を喚起するためにも、ホンダの支援で日本人F1ドライバーが誕生しただろう。しかし、現在のホンダ傘下の若手ドライバーの中に、この制度における条件をクリアしている者がおらず、小林可夢偉選手以来の日本人F1ドライバーは誕生していない。

もはや「チームへの持参金」だけでF1のシートを獲得することは不可能となったのである。

モータースポーツの暗部

 

但し、純粋にF1が実力至上主義になったかと言えば、幸か不幸かそうではない。

下位カテゴリーでは「同じマシン」を扱い、純粋にドライバーの実力が物を言う世界であるかのように取り上げられることも多い。しかし、実際には「同じマシン」であっても「いかにコースに合わせたセッティングを施すか」というようなチーム力の影響は非常に大きく、少しでもそうした優位なチーム体制で参戦するために莫大な資金が動いているのである。

つまり、下位カテゴリーの段階から資金力が将来を大きく左右する世界に変わってしまったのである。

だからこそ父・野田英樹氏は批判も覚悟の上でJujuこと野田樹潤選手の露出を増やし、多くの企業から支援を得ようとしているのである。こうした方法はモータースポーツという非常に高価で繊細な道具を扱う競技の持つ特殊性によるものであって、他のスポーツと同一視して批判を受けるような筋合いのものではないことだけ断言しておく。現在の経歴の解り易い例えとして亀田興毅氏を引き合いに出したが、その意図するところは全く違うということは理解していただきたい。氏の手腕は改めて素晴らしいと思う。

このままJujuこと野田樹潤選手がフォーミュラカーのドライバーとして順調な成長を続け、F3やF2という上位カテゴリーへステップアップする時に莫大な費用がかかることは述べたが、ここで、モータースポーツファンにとっては非常に気になることがある。「どの段階から、どの自動車メーカーの支援を仰ぐのか?」という興味である。

父・野田英樹氏は現役時代からトヨタ自動車との関係が深い。氏が立ち上げたNPO法人青少年少女モータースポーツ振興会もトヨタが協力しているし、氏が創設したFIA-F4のスカラシップ制度もトヨタ関連企業と組んだものである。そう考えるとトヨタ自動車の支援を受けることが自然な流れに思えるが、ここで大きな問題が立ちはだかる。

トヨタ自動車は2009年にF1から撤退して以来、トップレベルのフォーミュラカーレースには一切参戦していないのである。これは「モリゾウ」こと豊田章男社長の意向によるものとされ、「章男社長が在任している限りF1復帰は無い」とまで言われている。つまり、トヨタの支援ではJujuこと野田樹潤選手が目指すF1への道を切り拓くことができないのだ。

それならば現在 F1に参戦しているホンダやルノーとの繋がりのある日産自動車の支援を仰げばいいと思われるかもしれない。しかし、日本のモータースポーツ界における自動車メーカー間のしがらみは異様なほどに強く、一度トヨタの支援を受けてしまうと、他メーカーに乗り換えることは非常に困難が伴う。

端から見ると両者にとってメリットしか無いように見えるにも関わらず、小林可夢偉選手がホンダからの支援を得ることができず、F1参戦を断念したことは記憶に新しい。

追い風に乗って

このように複雑極まりないモータースポーツの構造や日本企業の体質に、無垢な少女が翻弄されてしまうのか…そう考えると非常に切ない気持ちになるが、実は彼女に対して追い風、それも空前絶後の追い風が吹き始めている。

最近、F1の「グリッドガール廃止決定」が日本のワイドショーでも取り沙汰されたが、欧米のモータースポーツ界では「女性の進出」が一大テーマとなりつつあり、その象徴として「女性F1ドライバーの誕生」を求める声が高まっているのである。実は既にこうした動きの中で、Jujuこと野田樹潤選手には世界中からの注目が集まり始めている。

おそらく、Jujuこと野田樹潤選手がレーシングドライバーとして男性と遜色無い実績を記録し続けていけば、モータースポーツの構造や日本企業の体質といった逆風をかき消して、世界中から支援が集まるだろう。もしかしたら、その中にはフェラーリやメルセデス・ベンツ、レッドブルといった、F1にトップチームを持つ企業も含まれるかもしれない。そうすれば、あとは実力次第である。

その実力を磨きあげるためにも、まずはレースに出場することだ。ほとんどのカテゴリーには年齢制限があり、Jujuこと野田樹潤選手が出場可能なレースは限られている。しかし、F3マシンを使った練習走行だけでなく、可能な限りのレースに出場して戦い方も学んで欲しい。

世界は、時代は、Jujuこと野田樹潤選手を求めている。
今後の彼女の活躍に、是非とも注目してほしい。



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